
武田三代年表帖 上巻
ユニプラン編集部
2016年6月1日
ユニプラン
1,650円(税込)
人文・思想・社会
本年表帖は、戦国時代の武田信玄の活躍時代から西上途次の無念の死までの信玄中心の年表で、その頃、家臣として活躍した真田家三代も詳述しました。 冒頭、「武田信玄、戦いの生涯」として、史実といわれる事柄を掲載しました。 年表内の項目は、日本の中部から関東の一部を中心に、甲斐の信玄、越後の上杉謙信、信濃の国衆や真田幸隆・昌幸父子、相模の北条氏康・氏政父子、駿河・遠江の今川義元・氏真父子、三河の松平広忠・徳川家康父子ら戦国大名たちに関係する出来事を収録いたしました。 また、大きな勢力をもち、入京と覇権を競った武田信玄と上杉謙信についても、大いに取り上げております。 武田家三代、真田家三代の、その日、その時に何が起きていたのか? その周辺諸国、戦国大名たちは、何をしていたのか? 西暦▼和暦 月日 出来事 掲載頁 1532▼天文1 9月ー 「武田氏第18代・武田信虎、事実上の甲斐統一を達成する」。 0001 1533▼天文2 ー 武田太郎(のちの信玄)(1521〜1573)、扇谷上杉朝興娘を、正室として娶る。 0004 1534▼天文3 5月12日 「織田信長、生まれる」。吉法師(信長)(1534〜1582)、生まれるという。 0005 11月ー 武田太郎(のちの信玄)妻・扇谷上杉氏、懐胎して没する。 0007 1535▼天文4 6月5日 甲斐の守護大名・武田信虎、今川氏の駿河に侵攻する。 0008 9月17日 武田信虎(1494〜1574)と諏訪碧雲斎(頼満)(1473〜1540)、和睦が成立する。 0018 12月3日 家督相続から10余年で三河をほぼ統一した三河安祥城および岡崎城主・松平清康(家康の祖父)(1511〜1535)、再び、1万余りの大軍で尾張に侵攻開始。 0022 12月5日 松平清康、清洲城の支城・守山城攻め陣中で、家臣阿部弥七郎正豊に村正刀で暗殺される。主を失った三河勢は岡崎に撤退。俗に言う「守山崩れ」である。享年25。 0024 12月28日 息子の罪の償いのため千松丸(仙千代)を護る阿部定吉(1505〜1549)は、松平仙千代広忠(家康の父)12歳(1526〜1549)を伴い、岡崎城を脱出。 0027 1536▼天文5 1月17日 武田信虎嫡男・太郎(後の晴信・信玄)(16歳)、従五位下左京大夫に任ぜられる。 0029 3月ー この月、武田信虎嫡男・太郎、元服し将軍足利義晴の偏諱をうけて晴信(後の信玄)と名乗る。 0032 3月17日 駿河国の今川氏当主氏輝(24歳)(1513〜1536)、弟彦五郎(?〜1536)と共に、突然、没。死亡月日は異説あり。 0034 5月2
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