
新選組おもしろばなし 百話
新選組記念館青木繁男調べ・知り・聞いた秘話を語る!
青木繁男
2016年10月1日
ユニプラン
1,650円(税込)
人文・思想・社会
江戸の浪士組からはじまり、新選組の結成、芹沢暗殺、池田屋事件、色々な事件、鳥羽伏見の戦いの敗走、甲陽鎮部隊、戊辰戦争最期の函館戦争まで。時系列に逸話、謎、初話などを網羅しました。先駆けの研究者の成果なども紹介しており、全国のファンはもちろん、コアな方にも喜んで頂けるおもしろばなしになりました。 著者が研究者として資料をもとに有名な事件の裏話、実はこういう事だった、こういう理由があったなど事件の真相に切り込む。 記念館を運営していて様々な人と関わってきた著者が、これまで出会った研究者・地域の方々、隊士子孫の方々などから聞いた他では知りえない(ネットにはない)情報を多数公開。 サンプル話 42話大政奉還後、二条城共同警備を拒否された新選組 慶応3卯年12月9日、新選組は龍馬殺害の件以来、「油小路事件」のこともあり、新選組廃止の声多く、「新遊撃隊」に編入される。同月12日、新選組が二条城入りをした時に、その軽視現象が端的に現れた。 当時の京都は、発足したばかりの京都新政府と旧幕府勢力との対立が強まってきた。このまま対立が深まれば洛内での武力衝突に発展する危険性がある。事態を憂慮した慶喜は回避策として大坂への勢力移動を考え、12月12日に主力を従え大坂城へ入った。そして二条城は空城化した。城主が去ったとはいえ、徳川軍の重要拠点である。そこで御三家の水戸が守衛を担当する事になった。内命を与えたのは榎本道章であった。その頃、本圀寺に駐屯していた大場一真斉以下の200名。彼らはかって「本圀寺党」と称した過激思想の集団であった。守城役として的確とは言い難いが、他に人員がない。不安のままに指令が下った。代表者が登城すると留守居役が出迎え守衛場所を案内された。徳川慶喜から一刀を下賜され、彼らは役目の重さに感激した。 そこへ別ルートからの命令で、新選組が城内警備増強の為、急遽投入されたのだ。本来ならば同じ徳川家の支援部隊の好しみとして歓迎し、両者間で円満に話し合って、担当区域を規定し、相互協力の元に共同事業を張るのが通例であるが、この時は幕府消滅直後の混乱期、この定義がもろくも崩れていた。 城中で新選組局長と水戸藩士が初顔合わせをする。近藤は先着警備者に敬意を表し丁重に挨拶を述べた。武士道の道理にかなった手順であった。これに対し隊長の大場は嫌悪感をあらわにした。水戸藩側は「他人の助力など一切ご無用。我が藩士のみで守城する」と宣言。新選組のサポートを断固拒否。相手を見ようとしない、素知らぬふりをした。この水戸側の無礼に対して近藤は頭にきた。水戸藩士の不動の決意に押され仲介者は説得を諦めて引き下がった。水戸の粘り勝ちとなった。 当てが外れた新選組は行き場を失った。知己の若年寄格永井尚志を頼った。律義な心に打たれた永井は、伏見奉行所守備を委ねた。その夜、近藤は「新遊撃隊」の名を返上し、元来の「新選組」を称する。そして「近藤勇の狙撃事件」、「鳥羽・伏見の戦い」へと舞台は廻って行ったのであった。
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