
キネマ/新聞/カフェー
大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代
中村 勝 / 井上 史
2019年12月11日
ヘウレーカ
2,750円(税込)
人文・思想・社会
日本が戦争へと突き進もうとする1930年代半ば、京都で『土曜日』という週刊新聞が刊行された。1年4カ月という短い刊行期間にもかかわらず、『土曜日』は民衆への志向を持ち、人間への信頼を語りつづけた新聞として、戦後、研究者らから「日本における反ファシズム文化運動の記念碑的な出版物」と賞賛された。 その編集・発行名義人である斎藤雷太郎は、小学校を4年で中退し、職人をへて映画界へ転出したものの、役者としては無名の大部屋俳優で終わった人物である。そんな彼がなぜあの「暗い時代」に身の危険を冒してまで自ら新聞を発行しようとしたのか。知識人が書く新聞ではなく「読者の書く新聞」を目指したのはなぜか。 最後まで「貧乏人に対する裏切りができなかった」斎藤雷太郎という人物への聞き書きを通して、『土曜日』とその時代を描き出す京都新聞長期連載の書籍化。 連載終了当時、複数の出版社から書籍化の話が提案されたというが、この時点では中村は出版に同意しなかった。それからも機会あるごとに書籍化がすすられたが、話は進まないまま30年余りの歳月が流れ、そしてようやく出版化に向けての話し合いが始まった矢先の2019年1月、中村は病によってこの世を去った。今回の書籍化に力を尽くしたのは、近現代史研究者の井上史、『古都の占領』などの著作で知られる西川祐子、そして中村の後輩である元京都新聞記者の永澄憲史である。それぞれ中村と親交があり、本書刊行のためにチームを組んだ。 斎藤雷太郎が映画界に入るきっかけともなる関東大震災が起こった1923年から、『土曜日』が公権力により廃刊を余儀なくされる1937年前後までの日本社会を熟視すると、市民に不自由を強い、戦争につながっていく出来事に嫌でも目が留まる。そして私たちは、2011年3月の東日本大震災以来、あの時代と相似形のような時代の流れが日本で続いていることに気づく。 斎藤の次のような言葉を私たちは重く受け止めなければならない時代にいるのではないだろうか。 「権力に対する憎しみ、ですねえ。この気持ちは今でも同じですよ。力をもったものの偽善性。人間がどこまで悪くなるかという一つの見本ですよ、権力をもったものが腐敗する過程は……」 「自分でいうのもおかしいけど、私は事業をやれる人間だと思っているのですよ。新聞をやっていたら、おそらくやれた。でも、総会屋のような人間になっていたかも知れない。映画にいたときでも、もう少し要領よく監督につけ入って、月給の十円や二十円あげることはできたと思うが、見栄でそれはできなかった。それが人間の誇りというものではないかな、それをやらなかったということは。私の人生をふりかえって結局、貧乏人に対する裏切りができなかった、ということだと思う」
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