〔電子〕阪神タイガース 戦力外通告なし

「阪神タイガースさん、ありがとう」妻より

渡辺 直子

2017年3月14日

anchorwoman出版

1,200円(税込)

小説・エッセイ / ホビー・スポーツ・美術 / ノンフィクション

生涯、阪神タイガース球団から戦力外通告なし 元プロ野球投手の妻(渡辺タツヱ)が85歳になった時に、生涯、阪神タイガース球団から戦力外通告されなかった夫と二人三脚で渡り歩いた幸せな人生を振り返った。(現在89歳) 妻は、私が幸せな人生を歩めたのは、夫を生涯雇用し続けてくれた阪神タイガースのお陰と話す。 「阪神タイガースさん、ありがとう」 夫の名は、渡辺省三。 新庄剛志さんを発掘したスカウトとしても有名。 【渡辺省三プロフィール】 1952年に大阪タイガースへ入団テストを受け、打撃投手として採用される。 2年目の1953年に制球力の良さを買われてキャンプに打撃投手として帯同し、紅白戦でエース・梶岡忠義の右手甲に死球を与えてしまう。オープン戦で梶岡の代役として投げたところ好結果を出し、一軍に昇格した。 同年は4月5日の対名古屋ドラゴンズ戦で初登板し、4月19日の対読売ジャイアンツ戦で初勝利を挙げるなど、10勝11敗の成績を残す。以降は開幕投手を務めた1958年まで6年連続で二桁勝利を挙げるなど、チームに欠かせない戦力となった。 最盛期は1955年から1957年までの3年間で、特に1956年は22勝、防御率1.45で最優秀防御率のタイトルに輝いた。 この間の1957年9月26日の広島戦では、先発して9回を70球で無失点に抑え、それまでの9回完投時の最小投球数の日本記録71球(1952年5月11日柴田英治(阪急)・近鉄戦、及び、1957年3月30日植村義信(毎日)・西鉄戦)を下回った。しかし、0-0のまま延長戦に突入して、結局13回を投げ切り完封勝利を収めたものの、最少投球数記録は参考記録となっている。 1962年、1964年のリーグ優勝にも貢献。1962年の東映との日本シリーズでは3試合に登板、第3戦では先発し4回を2安打無失点に抑えた。1964年の南海との日本シリーズでも2試合にリリーフとして登板している。1965年限りで現役引退。 引退後も阪神で一軍投手コーチ(1966年・1970年 - 1971年・ 1978年)、二軍投手コーチ(1967年 - 1969年)、九州地区担当スカウト(1972年 - 1977年・1979年 - 1998年)を務めた。スカウト時代は新庄剛志・野田浩司・仲田幸司・遠山奬志・亀山努らを発掘した。(一部wikpediaから抜粋) 1998年8月31日没 ゴーストライターは、妻の長女 渡辺直子

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