〔電子〕自然のなかで

国木田独歩 / 島崎藤村 / 中谷宇吉郎

2023年9月22日

崋山房

0円(税込)

小説・エッセイ

「春の鳥」 徳富蘇峰の紹介、矢野竜渓の推薦で、大分県佐伯の鶴谷学館の教師であったときの実話がもとになっている作品である。天使のような白痴の少年との交流と、その少年の城山からの墜落死が、独歩に与えた感銘、自然と人間と死などへの思いを綴った作品。関連して「小春 第三章」を補足した。 「千曲川のスケッチ」 藤村の作品から二十五篇を抜き出した。それは江守徹朗読のCD所載の二十五篇と一致した。江守の朗読を聞きながら読んでいただきたい。 「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか。これは私が都会の空気の中から脱け出して、あの山国へ行った時の心であった。私は信州の百姓の中へ行ってさまざまなことを学んだ。田舎教師としての私は小諸義塾で町の商人や旧士族やそれから百姓の子弟を教えるのが勤めであったけれども、一方から言えば私は学校の小使からも生徒の父兄からも学んだ」と藤村は序で書く。 稀代の読書人・篠田一士が、プルーストの「失われた時をもとめて」、カフカの「城」、フォークナーの「アブサロム、アブサロム!」、マルケスの「百年の孤独」、ジョイスの「ユリシーズ」など、これこそ世界文学という陣営に、唯一日本文学として選した「夜明け前」。その「夜明け前」完成の30年前の若き藤村が最初に試みた口語文である。 「武蔵野」 国木田独歩は日清戦争に海軍従軍記者として参加、ルポルタージュを発表「国民新聞記者・国木田哲夫」として一躍有名となる。そして佐々城信子との劇烈な恋愛から徳富蘇峰の媒酌で結婚、そして破婚。 1898年、榎本治と結婚。浪漫派としての作家活動が始まる。武蔵野は1901年、初の作品集として刊行されるが、当時の文壇で評価はされなかった。しかし現在では日本の自然主義文学の先駆けとされる作品である。藤村の「千曲川のスケッチ」(刊行は1912年)と、ほぼ並行して書かれた。 1907年、前年に刊行した作品集『運命』が高く評価され、自然主義運動の中心的存在として注目の的になる。1908年6月23日に肺結核で死去。満36歳であった。葬儀は当時の独歩の名声を反映し多数の文壇関係者らが出席した。 『「霜柱の研究」について』 「中谷宇吉郎は師匠の寺田寅彦にくらべると名文家でもないし、俳諧に遊ぶでもなく、関心も多様ではない。文章に機知を飛ばせるわけでもない。どちらかといえば理科一辺倒だ。けれどもこの理科感覚には、日本人にはどこかぴったりするものがある。」との中谷宇吉郎について松岡正剛の言葉を「忘れえぬ人」の「まえがきにかえて」で紹介したが、それにもうひとつ松岡の言葉を追加したい。「科学的な見方に徹しつつも、わかりやすく叙述している『言葉の態度』が美しいのに気がついた」 「言葉の態度」が美しいーーとは、また難解な言い方だが、ここに収録した一篇を読んでいただければ、「なるほど、こういうことなのか」と理解していただけるだろう。美しいというよりも気品があると言ったほうが、より正確になるかもしれない。

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