〔電子〕家なき子

マロ エクトール・アンリ

2009年12月15日

青空文庫

0円(税込)

小説・エッセイ

原作は1878(明治11)年エクトル・アンリ・マロが書いた "Sans Famille"。発売から一年ほどの間に十七回も版を刷られ、欧米各国でも翻訳されて、広く読まれた本である。フランスの地理を描き、また社会・人生の様々な面を描き出したこの作品は、長くフランスで学校の教科書としても使われたという。日本で最初に紹介されたのは1903(明治36)年のことで、読売新聞記者の五来素川が「未だ見ぬ親」と題し、翻案として警醒社書店から出版した。この本は小学生であった宮沢賢治が教師に読み聞かされ、感銘を受けたという点でも有名である。その後、1911(明治44)年には「大阪毎日新聞」で菊池幽芳が「家なき児」という題名で訳出、以後、この題が定着する。翌年には春陽堂から単行本として出され、うまく整理された翻案は、新聞小説・家庭小説の流行も相まって好評を博した。大正時代に入り、翻案ではない形で出版される海外文芸が多くなる中、"Sans Famille" も1914(大正3)年、教育学者・野口援太郎による訳「教育小説サンフアミーユ」(目黒書店)が出され、続いて1924(大正13)年に武藤直治訳「みなしご」(誠文堂)、1928(昭和3)年、小学生全集のひとつとして菊池寛のずいぶんコンパクトにまとめた「家なき子」が出る。そういった流れの中で、この楠山版「家なき子」のもととなった「家の無い児」が1921(大正10)年に家庭読物刊行会から、おそらく同内容の「少年ルミと母親」が1931(昭和6)年、冨山房模範家庭文庫の一冊として出版された。この「少年ルミと母親」は当時刊行された際、外箱に「全訳」と表記されたり、あるいは日本語で初めての完訳本と紹介されたりしたため、今でも「原作を忠実になぞった初めての翻訳本」などと言われることもあるが、それは間違いである。実際には前述のように翻案ではない翻訳は数冊出ているし、また原典を半分ほどに刈り込んだ抄訳であることは、翌年春陽堂少年文庫に再録されたときの「はじめに」の中で訳者本人が述べている。この楠山訳のあと、鈴木三重吉が「赤い鳥」に「ルミイ」という題で連載し、日本で初めての完訳を目指したが第二部を少し進んだところで絶筆となってしまう。日本における完訳の登場は、1939(昭和14)年、津田穣訳「サン・ファミーユ家なき児」(岩波文庫)を待たねばならなかった。この楠山正雄訳の「家なき子」は、筋やセリフ・地の文などほぼ原文通りに進んでいくが、一字一句洩らさず訳されたというものではなく、いくつかの会話やいくつかのエピソードが削られている。そのため、つじつまを合わせようと楠山自身の創作による部分がちらほらと見られる。いくぶん消化不良のところを残すものの、全体としての完成度は高い。また、楠山が児童文学の道へ乗り出すことになった、そして大正期に児童文芸が盛んになっていくことになった、きっかけのひとつともなる一冊である。(大久保ゆう)「家なき子」[文字遣い種別]新字新仮名[底本]家なき子(下)[出版社]春陽堂少年少女文庫、春陽堂[初版発行日]1978(昭和53)年1月30日

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