江戸時代とはなにか

日本史上の近世と近代

岩波現代文庫 学術158

尾藤 正英

2006年4月14日

岩波書店

1,210円(税込)

人文・思想・社会 / 文庫

民主主義を支えるのは、自発的な社会的責任の意識であろう。江戸時代の人々は、それを「役」と表現し、現代の役人や役員の語につながる。民主主義が近代の一つの特色であるとすれば、日本の近代は江戸時代に始まっていたのではないか。この新しい視点から、日本の近世と近代を多角的に考察する。

本棚に登録&レビュー

みんなの評価(1

starstar
star
2.9

読みたい

1

未読

2

読書中

0

既読

1

未指定

2

書店員レビュー(0)
書店員レビュー一覧

みんなのレビュー (1)

Readeeユーザー

(無題)

starstar
star
2.9 2018年01月24日

先にレビューした「無名の人生」で著者の渡辺が本書を引用していたのが、読んでみようと思ったきっかけです。僕は時代小説が割と好きなんですね。時代小説といえば江戸時代の貧乏長屋が登板するのが、もう定番と言っても良いほどです。江戸時代の庶民の生活の場は貧乏長屋ですが、そこは貧民窟ではありませんでした。貧乏であっても貧困は存在しません。あらためて考えてみれば、これは不思議なことですよね。世界中の大都市には必ずと言って良いほど、貧民窟がありますよね。江戸という大都市では、相互扶助や高度な自治を可能にする社会システムがあったからでしょうか。それ以前にそのバックにある江戸期の日本人の精神性を覗いてみたいと思います。漠然とですが、現代日本人の心の故郷がこの時代にあるような気がするからです。 江戸時代は庶民文化が花開いた時代と言って良いですよね。いまここでは、近松門左衛門を取り上げたいと思います。近松の戯曲は江戸時代の人々の日常の描写ですが、今もなお人間の生の真実を伝え、時を越え、国境を越えて私たちの心に訴える力を持っています。いわゆる世話物と呼ばれる一連の戯曲ですが、江戸町人の義理と人情がテーマになっています。我が国独特の社会規範でもあり人々の心の拠り所とも言える義理・人情は実は、江戸期に明確に意識されるようになったのです。「義理」とは、人が社会の中で与えられた役割に応じて果たさなくてはならない義務であり、「人情」とは、他人もそれに同様な義務を負っている事についての人間的な共感なのですね。義理と人情とは対立するものではなく、むしろ義理と人情との双方に縛られることによって悲劇が生じるのが近松の作品であり、江戸期の庶民の心なのです。つまり日本人の道徳観は社会的役割を果たすところから生まれたもので、西洋とは大きな違いがあります。 僕の関心事が文化的側面に集中していますのでつい偏りがちになります。本書を語るためには政治体制にも触れなければなりません。1番興味深いのは武家政治と天皇制の関係です。日本史史上で天皇にとって変わろうとしたのは、平将門と織田信長の二人だけだったと言われています。ご承知の通り二人ともその野望は打ち砕かれました。他の武家政治家は天皇を後ろ盾として自己の正統性を主張しました。天皇を倒して新たな朝廷を打ち建てることができたにも関わらす、そうしませんでした。中国やヨーロッパでは考えられません。日本人のメンタリティーを明らかにして欲しいと期待しましたが、残念ながら「わからない」とのことです。 さて、江戸時代とは徳川将軍が実質的に日本を支配した260年あまりの期間のことです。徳川家が大名と主従関係を結び、彼らを統率する政治制度ですね。その将軍の政府を幕府、臣従している大名家を藩、これらが複合した権力体制が幕藩制です。ただしこの幕府や藩は現在では歴史用語として定着しているものの、江戸時代に使われていたのではありませんでした。その当時、将軍の政府は公儀と呼ばれるのが一般的でした。武士による統治機構に留まらずもう少し大きな意味合いを含むものでした。例えば、大名は幕府から国替えの命があれば、唯々諾々と家臣を連れて新たな任地に旅立つのは当然の事でした。その時、領民は連れて行きません。土地と百姓は公儀のものとの意識があったのです。ヨーロッパの封建領主は、土地も領民も私有していると考ていたのですから、大違いです。この事を取り上げて著者は、江戸時代を封建時代と言うのは当たらない、と言います。 このように、この時代の武士には独自のメンタリティーを見いだすことが出来ます。私的な利益よりも、藩や国家など組織全体の公共性を優先する意識が育まれていたのです。これを抜きに幕末の志士たちの活躍は説明できませんし、武士の特権を自ら放棄した廃藩置県も説明できません。この近代的な公共精神こそが、世界史の中で、日本の武士に独自の地位を与えているのです。   また、著者は江戸期の宗教を論じるのに一章を与えています。しかもその内容は大変斬新なものになっています。まず、日本人が抱く宗教感情の完成がこの時期になされたとしています。日本の宗教の最大の特色は、言うまでもなく多神教にありますよね。日本には神道、仏教そして民間信仰が現在でも並列的に存在しています。著者は神仏混淆どころか三者が渾然一体となって独自の宗教を形作っているのではないか、との仮説を立てるのです。これは面白いですね。今まで聞いたこともない新説です。また、海外から輸入された仏教が、一応日本型の完成をみたのがこの時期だとの指摘もあります。仏教本来のテーマである精神の救済のために立ち上がったのが、鎌倉仏教の創始者達でした。悲痛なまでの彼等の叫びが結実した、と著者は言います。それは死者に対する葬祭と手厚い供養が僧侶によって営まれるのが一般的になったからです。これによって個人の魂は救われるようになったのですね。しかし、それは一面から見れば葬式仏教への堕落でもありましたし、寺院数の増加をもって仏教興隆の証拠とするのは、徳川幕府が政策導入した寺請制度の影響を全く無視しており、片手落ちとの非難をかわすことは困難でしょう。 いやはや、このほかにも興味深いテーマが目白押しです。何しろ江戸時代は260年間ですからね。長くなりましたので、この位で筆を置く事にしましょう。

全部を表示
Google Play で手に入れよう
Google Play で手に入れよう
キーワードは1文字以上で検索してください