哀愁的東京

角川文庫

重松清

2006年12月31日

角川書店

704円(税込)

小説・エッセイ

進藤宏。40歳。新作が描けなくなった絵本作家。フリーライターの仕事で生計を立てる進藤は、さまざまなひとに出会う。破滅の時を目前にした起業家、閉園する遊園地のピエロ、人気のピークを過ぎたアイドル歌手、生の実感をなくしたエリート社員…。進藤はスケッチをつづける。時が流れることの哀しみを噛みしめ、東京という街が織りなすドラマを見つめてー。「今日」の哀しさから始まる「明日」の光を描く連作長編。

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-- 2019年12月15日

重松清「哀愁的東京」

例えば、テレビの画面を近くで見てみる。当たり前だけど、それは赤・青・緑(だっけ?)の三色の配列から成り立っていて、どんな色でもその三色があれば作り上げることが出来る。つまりテレビの画面の構成要素は、三色の色であると言えるだろう。 あるいは本であれば、最小単位は文字だ。どんな華麗な文章であろうと、どれだけ素敵な物語であろうと、本という形態をとっている以上、突き詰めていけば最小単位は文字になる。 あるいは、世の中のものを微細に分解して行けば、最後には分子だの原子だのに行き着くわけだし、どんな実際的な物事であれ、どんな抽象的な概念であれ、それには基本となる構成要素があるはずである。 『東京』という街は、一体どんな構成要素で作り上げられているだろうか? 僕のイメージでは、どれだけ微細に分解していっても、『東京』という街を構成する要素は見えてこないような気がするのだ。 例えば、京都であれば「歴史」と答えられるかもしれない。大阪であれば「人情」や「お金」なんてのもいいかもしれない。北海道であれば「自然」や「雄大」、沖縄であれば「米軍」なんて答えも一つかもしれない。他のどんな土地であっても、特産品やら名物地みたいなものはあるだろうし、積み重なってきたものもあるはずだ。そこに生きる人々が守り続けているものがあるだろうし、そこで生まれそこで生きる人々の心の奥底に残っているものを挙げることも出来ることだろう。 しかし、『東京』というのはどうだろうか。一体『東京』というものは何から出来ているのだろうか。構成要素は、本当に存在するのだろうか。 『東京』という街は間違いなく存在する。僕もまあそこそこ長い時間をそこで過ごしている(実際は神奈川なのだけど、川を越えればもう東京なので)。そこに住んでいる人はものすごい数に上り、また他の街にはないものがたくさんある。日本の首都として、ある意味で世界と闘って行けるだけの経済力があり、日本のあらゆる機能がそこに集中している場所でもある。『東京』という街はそういう街であり、れっきとして存在しているわけだ。 しかし、何から出来ているのかわからない。細かく細かく『東京』という街を細分化していっても、何も見えてこない。細かくすればするほど、印象が薄れて行ってしまう感じもする。 だから、『ない』ものから出来ているのかもしれないと思った。 『東京』という街は、『ない』ものから出来ている。 それはきっと、ありとあらゆる『喪われたもの』なのだと思う。そういう『喪われたもの』が長い期間を経て降り積もって行くことで、『東京』という街は生まれたのだろう。 それは、夢であってもいいし希望でもいい。時間でも感情でも支えでも友でもなんでもいい。とにかく多くの人間が『東京』へとやってきて、そして『東京』で多くのものを喪うのだ。人々はそれを、『東京』という街のせいにしようとするだろう。『東京』という街が、俺の何かを奪ったのだ、と。 そうした想いが、形を失ったはずの『喪われたもの』と積み重ねて行くことになったのだろう。形もなく音もなく手触りすらもないままにそれは降り積もり、見えもせず邪魔もしないのにそこにいる人間を排除していく。『喪われたもの』が壁となって東京を取り囲み、それが逆に『東京』という街の幻想を一層大きくさせ、さらに多くのものが喪われていくのだろう。 誰かの大切だったものを踏みしめながら、『東京』という街は息づいている。それは、まさしく『哀愁的』という言葉に相応しい街かもしれない。 これからも『東京』という街は、静かに『喪われたもの』を積み重ねていくことだろう。そこに住む人々は、自分の足元に無残に踏みしだかれている『喪われたもの』を眺めながら、『哀愁的』な気分になることだろう。感傷が日常と同義になるこの街で、僕らは『喪われたもの』と『喪われずに残ったもの』を眺めながら暮らしていくことだろう。 そろそろ内容に入ろうと思います。 本作は、著者としては9章に分かれた長編という扱いをしているようですが、読むほうとしては9編の短編が収録された短編集という方がわかりやすいと思います。それぞれの内容を紹介しようと思います。 まず主人公の進藤宏について少し書きます。進藤は、絵本が描けなくなった絵本作家。4年前に書いた作品はとある権威のある賞を受賞し、絵本作家としての地位も高まったはずだが、しかしあるきっかけから描けなくなった。今では絵本作家であるということはほとんど忘れ去られている。 一方で、どちらが本業だかわからないほど、フリーライターの仕事をやっている。文章を切り売りする仕事だ。楽しくはないし寧ろ辛いが、しかし苦痛ではない。 そんなフリーライターの仕事を通じて、様々な人間と出会う 「マジックミラーの国のアリス」 時代のヒーローと呼ばれた男、田上幸司。ネットビジネスの世界でカリスマ的な存在であった彼も、今ではかなりの落ち目である。インタビューを引き受けることになったのだが、その後個人的な事情から彼から依頼を受けた。 学生時代の頃、『アリスの部屋』という覗き部屋みたいあ風俗店があった。そこの看板女優であったアリスを探してきて欲しいんだ。会って話をしたいんだ… 「遊園地円舞曲」 ノッポ氏から葉書がきた。遊園地の廃業に伴って、ピエロの衣装を脱ぐという話だった。友人と呼べるような間柄ではなかったが、閉演間際の遊園地に行ってみることにした。 ノッポしはかつて、ビア樽氏とコンビを組んでピエロをやっていた。賞をもらったあの絵本との関わりも深い。しかし一方で、彼等との出逢いがあったからこそ、自分は絵本を描けなくなったのだ、とも言える。お互い、かつての苦さを思い出しながらも、しかし久々の再会を果たす… 「鋼のように、ガラスの如く」 タイフーンという名の四人組のアイドル。その解散に併せて出すアルバムのボーナストラックとしてつける小冊子の原稿を書くことになった。 メンバーにインタビューをすることになったのだが、タイフーンの『姫』と呼ばれているワガママ娘がいつもの如くごね出したのだという。いつものことだと言いながら疲れを隠せない担当である河口くんを、しかし僕はいつの間にか裏切ることになっていた。何故か、レコーディングを勝手に抜け出した『姫』とドライブをすることになった… 「メモリー・モーテル」 エロスを売りにした週刊誌の編集長を務めるカズさんは、部数の伸び悩みを理由に編集長を下ろされることになった。最後だということで、心残りだったある写真を週刊誌に載せたいのだという。その手伝いをすることになった。 それは、自分が描いた絵本で目元を隠した裸の女性と、その女性を後ろから抱く男の写真であった。編集部に送られてきた時、これは載せようと思ったのだそうだ。しかし、一緒に写っている男が自殺したために敢え無く断念した。この写真を、是非最後に載せたいんだ… 「虹の見つけ方」 一時代を作った…そう評してもいいだろう作曲家がいる。マスコミに出ない、私生活もその他何もかも情報がない、アイドルに歌を提供し続けチャートで1位を取り続けた、新井裕介である。そんな彼に取材をすることになってしまった。 往年のような勢いがなくなってしまったかつての伝説は、今では酒に浸るような生活だった。虹を描けと言われて描けなかった自分を、それでもプロか、と詰った。そう、新井祐介は間違いなくプロだ。 そんな彼の頼みごとだ。最後のアルバムの最後に、書き下ろしで歌を書く。それを、当時から使い続けた『虹』という名のコーラスグループに歌わせたい… 「魔法を信じるかい?」 担当編集者に連れられていった一軒のバー。そこには一人の女流マジシャンがいた。新たな絵本のアイデアが浮かぶかもしれないと取材を申し込んだのだが、ある条件がついた。 あるテレビディレクターに、その取材の風景を撮って欲しい、というものだった。知り合いだったので話を聞いてみると、なるほど少なくない関係があるようだ。ストイックな映像を作り続けるそのディレクターの過去の話 「ボウ」 大学時代の、友人と呼んでいいかなんとも言えない知り合いから、突然連絡があった。いつでもいいからとにかく会いたい。頼むよ。学生時代、そんな言い方をするやつではなかったのに。 会うと、まるで病人みたいな形相であった。自分がゼロになってしまうのが恐ろしいのだ、と彼は言う。だから、自分のことを文章にしてくれないか。文章を書いてる知り合いはお前しか思いつかなかったんだ。歯切れの悪い返事をしてその場を去る。 担当編集者が、心理ゲームのようなものを出してくる。いいですが、「ボウ」と聞いて思い浮かべる漢字はなんですか? 「女王陛下の墓碑」 昔からの友人と会った。彼女は女王様だ。そういう店で、50歳になろうかという年齢で現役で女王様をやっている。 彼女とは昔取材で知り合った。取材でプレイを体験し、乗り気でない自分に気付いた向こうがあっさりと止めた。どこを気に入られたのか未だによくわからない。それでも、時々こうして会う。 この前なんか、三回もチェンジって言われたよ。そう明るく話す彼女が纏う寂しい雰囲気を描く物語 「東京的哀愁」 ビア樽氏に病室で会った。その娘さんと話もした。父は、あなたにずっと会いたがっていました、と。 お願いがあるのだ、と言う。 父は、あるホームレス同士の結婚の仲人をする予定であったのだが、病気で入院してしまった。代わりに会ってくれませんか、という話だった。二人とも、僕の描いた絵本が好きなのだという。 アメリカで暮らす妻と娘が日本に来た。そして妻とは、正式に離婚することになった。娘との関係は、まあ当然だがうまくいかない。 担当編集者も、営業に異動になるのだそうだ。 段々僕は、一人ぼっちになっていく… というような感じです。 やはり重松清の作品はいいですね。僕としてはやっぱり、家族だとか学校だとかがテーマになっている作品の方が、作品としての深さもあるし読んでいて泣けたりして好きなのだけど、本作は本作で別の良さがあります。 冒頭で僕は、『東京という街は喪われたもので出来ている』みたいなことを書きましたけど、まさにそんな感じの話でした。進藤が出会う人々はそれぞれ、全盛期には素晴らしく輝いた場所にいたのだろうけど、今ではその輝きが失われしまった人々ばかりです。かつてのよき思い出を語り、見失った自分を振り返り、先にある自分の姿を思いやる。そうやって、崩れるその最後の瞬間の灯火を、全力で輝きに変えようとする人々がものすごく哀愁を漂わせていて、読んでいて哀しい気分になってきますね。『東京』という街に降り積もる『喪われたもの』は、人と人との距離までも隔ててしまうみたいで、誰もが寄り添えない孤独の中で寂しさを切り刻んでいるように思いました。 一方で、そんな様々な人々の人生を垣間見る側である進藤も、寂しい人間の一人です。毒にも薬にもならないとわかっている、ただ読み捨てられるためだけに存在する文章を日々紡ぎ生計を立てている一方で、絵本を描きたいとは思うのだけど描けない自分を諦めきっている。担当編集者に逃げていると言われても、反論も出来ない。他の人々と同じく哀愁を漂わせる人間です。 僕がこの作品の中で一番好きなのは、担当編集者のシマちゃんだ。進藤の描いた絵本を、冗談ではなく何百回となく読みこなしている彼女は、進藤の新作をとにかくひたすらに待ちわびている。絵本を作るために出版社に入り、進藤の絵本を担当するために部長にごり押しするくらいのファンである。進藤はそんな彼女の期待を常に裏切り続けているわけで、そんな二人の関係は、見ていてどこか苦しい。 シマちゃんは、絵本をまったく書こうとしないでフリーライターの仕事に明け暮れる進藤に苦言を呈しながらも、それでも決して見捨てることだけはしない。正直、進藤は彼女に甘えているんだろうなぁ、と思うのだけど、それを本気で愚痴ることもない。いい子なのだ。そのシマちゃんの優しさとか真っ直ぐさみたいなものが、本作の中では逆に眩しすぎて痛くて、だからすごくいいと思った

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