サウスバウンド(上)

角川文庫

奥田英朗

2007年8月31日

角川書店

607円(税込)

小説・エッセイ

小学校6年生になった長男の僕の名前は二郎。父の名前は一郎。誰が聞いても変わってるという。父が会社員だったことはない。物心ついた頃からたいてい家にいる。父親とはそういうものだと思っていたら、小学生になって級友ができ、よその家はそうではないことを知った。父は昔、過激派とかいうのだったらしく、今でも騒動ばかり起こして、僕たち家族を困らせるのだが…。-2006年本屋大賞第2位にランキングした大傑作長編小説。

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-- 2019年12月14日

奥田英朗「サウスバウンド」

確かに、子供の頃は窮屈だったよな、と思う。 ことあるごとに同じ話を書くけども、僕は本当に子供の頃、自分なりに窮屈な日々を過ごしていたな、と思う。 あの頃は大変だった。いや、人生の中でそれなりに大変だった時期はあるけど、それでも、あの実家にいた頃の自分を褒めてあげたいくらい、僕は僕なりに精一杯大変だったと思う。 常に葛藤があった。こんな日々から抜け出したい、という強い欲求と、でも子供だからどうにもならない、という、ある意味で甘えた考えの狭間で、僕は必死だった。 家出も(家出未遂とでもいうようなどうしようもないもので、実際僕自身が親に告白するまで気付かれなかったぐらいなものだけど)3回くらいはした。一番初めは確か小学生の高学年くらいだったはずだ。そんな頃からもう、実家での生活に限界を感じていたということだろう。 まあ、何故僕がそんな風に感じながら生きていたのか、というような原因はとりあえずいいでしょう。他の感想でもよく書いているし、本作との関連もその点にはない。 とにかく、子供時代は窮屈だったということ。 考えてみれば結局、子供という存在は、社会との接点が極めて希薄だ、ということだろうと思う。 僕らは、子供の頃は、社会というものからなるべく遠ざけられていたと思う(最近はそうでもないような気がする。小中学生が株をやっているなんてニュースを聞くとよりそう思う)。学校と家庭というのが社会のすべてであり、他の社会というものの大部分を占めるものには触れさせなかったように思う。 つまりそれは、学校と家庭が、子供を管理するために作り上げてきたシステムだ、ということだろう。 本作を読んで思ったことがある。なるほど、社会なんて、本当に生きようと思ったらいらないのかもしれないな、と。 子供の頃、あまりその全貌を見させてもらえない社会というものに、結局は憧れたり興味を持ったりする。子供を管理するシステムであるのと同時に、社会というものの合理性や正当性を自ら探させようとするシステムでもあるのかもしれない。 本当は社会なんていらないのかもしれない。なんかそんな気がしてきた。社会がなければ生きていけない、という幻想や状況を、より上の階級の人間によって与えられ続けた結果がこの今の世界ではないのだろうか、と。 例えば僕は、今年金をまったく払っていない。これからもとりあえず払うつもりはない。将来に不安がないかと言われればないことはないけど、しかし、年金というシステムにはもはや限界があって、崩壊はしないだろうけど、どんどん改変されていくだろうなと思うし、結局それなら将来に対する不安は変わらないし、だったら払わないで貯金すればいいんではないか、と思っている。まあ健康保険は払っているけど。 年金も健康保険も社会があるお陰で存在するものだけど、しかし本当にそうしたシステムが必要なんだろうか、と思いなおしてみた。必要か否かすぐに判断することはできないけれども、少なくとも、必要でない社会を作ることは不可能ではないと思うのだ。 僕がこんなことを書いているのもすべて、本作に出てくる西表島での生活の描写に、なんかいいかも、と思ってしまう自分がいるからだと思う。お金がなくても生きていける社会なんて想像したこともないけど、本作で描かれる西表島での生活には、お金はほとんど必要ない。そこに幸せを見出すことができるのかどうかは人それぞれだと思うけど、本が読めるならそんな生活もいいかもしれないと思ってしまったことは確かである。 別に過激な思想を持っているわけではないけど、でも、無条件に社会を信じるのは止めたほうがいいのかもしれないと思った。もしかしたら、今スタンダードになっている社会の形に合わない人もいるかもしれない。別の社会の形を模索すべき時期にいるのかもしれない。僕には社会を変える力はないと思うけど、でもそんな人間がいたら、何かを期待せずにはいられないかもしれない。 なんか、そんな風なことを考えた。 本作は、左翼的な考えを持つ破天荒な父親を持った、ある家族の物語である。 主人公は上原二郎。普通の小学校に通う普通の小学生だ。二郎の生活は、まったく働いている気配を見せない父親を除けば、至って平和なものだった。 父親の名は一郎。誰からも、おかしいと言われる。父親はフリーライターを名乗っているが、これと言って仕事をしている気配はない。収入は、母親が経営している喫茶店で賄っているようだ。 父親は、どうも他の同級生の父親とは違うようだ。まず働かないしずっと家にいる。それが普通だと思っていた。しかも、よく揉め事を起こす。特に、スーツを着た人との相性は最悪だ。年金の取立てに来た人も追い返す。学校なんか別にいかなくてもいい、とか言う。そもそもまるで国を信用していないんだ。自分は、日本人だけど日本国民ではない、とか言ってみたりしちゃう、とにかく変な父親なんだ。 二郎の生活も、なんだかどんどん変わっていく。ある中学生に目をつけられたばっかりに、どんどん大変なことになっていく。お金を集めなきゃいけなかったり、坊主にしろとか言われたり…。やっぱり大人は、子供の問題には無力だ。 なんか、二郎の学校での環境が悪化していくのに比例して、家庭でもどんどんなんか悪い感じになっている。優しそうなおじさんが住み着いたけど、なんか変なことさせるし…。 一体僕たち、どうなっちゃうんだろう…。 そして、西表島へ…。 みたいな話ですね。 まず、少年を描かせたら日本一だと思うのが重松清だけど、その重松清にも負けない描写で少年を描いている作品ですね。読んでいて、重松清並に少年を描ける作家がいるのか、と思ったりしました。二郎と二郎を取り巻く少年少女の環境はなかなか面白いです。 また、家族を書かせたら日本一の重松清にまたも対抗するように、いい家族を書きます。父親も母親も姉も妹も、まるで一筋縄ではいかない人間ばかりだけど、特に第二部で、家族っていいのかもな、と重松清の作品を読んだときのような感想を味わって、なかなかでした。 とにかく、二郎の父親である一郎という人間が、とても面白く、活き活きとして描かれていて、こんな父親は嫌だし、こんな父親の元で生きていたくはないけど、でもこのストーリーならいいな、という変な感じになります。 一郎という父親は、第一部では本当にグータラで、何もしないし、むしろ問題を余計にこじらせることばかりするし、左翼的な考えを持っていて、それを周囲にも押し付けたりその論理を押し通そうとしたり、とにかく迷惑な人間なんだけど、でも、本当は一郎の言っていることが正しいのかもしれないな、と思ったりもします。 一郎がこんなことを言う場面があります。 「おまえはおとうさんを見習わなくていい。おまえの考えで生きていけばいい。おとうさんの中にはな、自分でもどうしようもない腹の虫がいるんだ。それに従わないと、自分が自分じゃなくなる。要するに馬鹿なんだ」 こんな真面目なことを言う人物ではなかったので、このシーンはかなりよかったです。特に、「それに従わないと、自分が自分じゃなくなる」というのがいいですね。こういうことを言う人はたまにいたりするけど(小説も含めて)、この一郎というキャラクターに言わせると、本当にぴったりくるセリフで、なるほどそうなのか、あなたも大変なんですね、と思わず言ってしまいそうになるくらいです。 一郎、という強烈なキャラクターに押されっぱなしの巣tp-リーですが、父親に関わらない部分もとても面白いです。第二部から以降が特に面白くて、西表島での生活が、ちょっといいかもなと思えるような感じで、社会ってもしかしたら捨てられるのかもしれないな、と思ったりしました。 なんか、元気になる小説です、一気読みです。大変面白いので、是非読んでみて欲しいなと思います。

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みんなのレビュー (1)

とも

-- 2018年01月24日

少し前まではKY、最近はイタイ人と言うようですね。周りと同調できずに浮いてしまっているのに、それと気づかない困った人の事です。本作の主人公・上原二郎の父親・一郎がそんな人なんです。こんな人が身近にいると1番迷惑を被るのが家族なんですね。二郎は中野の公立小学校六年生のごく普通の男の子ですが、父親の一番の被害者かもしれません。何しろこの父親は、元過激派の闘士で言う事が過激極まりないんです。国家なんぞは糞食らえと思っていますから、二郎にも国民の三大義務である勤労、納税、教育を受けさせる義務なんて必要ないと教えます。学校なんて行かなくてもいいんだと、うそぶくのです。一郎は実はアナーキストだったんですね。こんな人が普通の市民と混在していたら、面喰らいますよね。一郎はフリーライターを自称していますが、所得があるのかどうかは不明です。生活の糧は母親の喫茶店が稼ぎ出しているようです。 一郎が税金を納めているのかどうかは分かりませんが、国民年金の保険料は未納です。区役所の年金係のおばさんが督促にきて大声で論争を仕掛けているのですから、この事実はご近所周知の事実です。また、こんな態度は誰に対して同じです。二郎の担任教師南先生が家庭訪問に来た時でも、議論をふっかけるのですから。でもね、この南センセ、23歳の年若い女性なんですよね。一郎が自分が書いた小説のゲラを携えて学校に南センセを訪ねる図には、下心が透けて見えますね。中年になっても若い頃の過激派闘士の癖が抜けない人が常識的社会人として生きることが不可能なのは、誰しも容易に想像できます。だから、一郎が実はフリーライターからライを取り除いた存在であり、ドンキホーテのような一種の滑稽さを併せ持った存在なんですね。 変わり者の父親に振り回されている以外は、二郎の日常はその年頃の小学生と変わりありません。彼の周りには仲のいい男子と、ちょっと気になる女子がいて、友人たちと銭湯の女風呂を覗きにいったり、不良中学生にカツあげされそうになったり、小学六年生なりの日常があります。 ある日、一家にひとりの居候が転がり込みます。彼は自分のことをアキラおじさんと呼んでくれと言います。やさしいアキラおじさんでしたが、ある日大きな事件を引き起こします。過激派の内ゲバで、対立相手側のリーダーを殺害してしまったのです。公安警察、刑事警察、過激派が入り乱れての大混乱が始まります。事件はご近所、学校に知れ渡り、一家は地域社会でいたたまれない立場を味わう事になります。ボタンひとつの掛け違えで人生ががらりと変わってしまいます。二郎の母親・さくらと父親・一郎は話し合いの末にサウスバンドをきめます。気がつけば二郎はガスも電気も水道もない、西表島の空家にたどり着いていたのでした。

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