
大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験
講談社選書メチエ
河西 晃祐
2016年8月11日
講談社
2,035円(税込)
人文・思想・社会
1940年8月1日、「大東亜共栄圏」という言葉が外務大臣・松岡洋右によって初めて公表された。新秩序構想を支えるスローガン「八紘一宇」はどのような思想的・歴史的背景から出てきたのか。やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦に至る日本の針路はこの構想で想定されていたのか。200万以上の日本人に「南方」での生活を強い、東南アジアの人々に日本と日本人を目撃させた「外交政策」を検証する。 「大東亜共栄圏」という言葉が当時の外務大臣・松岡洋右によって初めて公表されたのは1940年8月1日であった。その用語は当時のどのような国際情勢をふまえ、いかなる意図を持って掲げられたのか。 やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦へと突き進むことになる日本の方向は、この構想が想定する道だったのか。また、この構想を支えるようになる「八紘一宇」というスローガンは、そもそもどんな思想的出自をもつのか。 対米外交の行き詰まりと東南アジア情勢への介入が拡がるなか、これらの言葉は日本人の目を「南方」異文化へと開き、「共栄圏」への志向を強めていく。 結果的には3年半余りしか続かなかった「大東亜共栄圏期」。その間200万人を超える日本人に東南アジアでの生活を強い、数千万人の東南アジアの人々に「日本文化」を目撃させた特異な時代は、どんな状況に生まれてきたのか、何か明確な理念を持っていたのか。 本書は1940年代前半の日本全体を覆った歴史的運動を多角的に検証する。 第一章 大東亜共栄圏の誕生 一 ドイツ勝利への危機感 二 松岡洋右の登場と大東亜共栄圏構想 三 動き出した東南アジア情勢 四 日米・日独・日ソ交渉と大東亜共栄圏構想 第二章 大東亜共栄圏構想と対米開戦 一 松岡の帰国と大東亜共栄圏構想の停滞 二 選択された日米開戦 三 開戦前「独立」構想 四 「八紘一宇」と「亜細亜の解放」 第三章 異文化体験の空間 一 「独立」か「占領」の継続か 二 マレー軍政部の多民族統治 三 徴用作家の南方体験 四 東南アジア情報の還流と蓄積 第四章 「アジア解放」をめぐる異文化交渉 一 抗い続ける他者の姿 二 独立に対する本心 三 南方特別留学生制度と大東亜会議 四 崩壊する共栄圏
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