「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦
講談社選書メチエ
斎藤 慶典
2018年2月11日
講談社
1,980円(税込)
人文・思想・社会
井筒俊彦は中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想を見据え、その根底にある哲学をつかみ、拓いていく。「ある」という事態の最深層に仏教哲学の「アラヤ識」を見届け、「空」と「無」を巡ってイスラーム哲学から現代思想までもが渉猟される。井筒が生涯をかけた「世界的な視野を備えた新たな哲学」は、どんな地点に到達したのか。その哲学的営為の総体を受け止め、さらに先にある問題を見極める。 東洋哲学とは何か。「東洋」は地理的・地域的限定を意味しているのか。また「インド哲学研究」や「中国哲学研究」など個別研究のことを指しているのか。 井筒俊彦は個別研究の枠を超えて中近東やロシア、東南アジアにも視野を広げた全東洋的思想を見据え、その根底にある哲学をつかみ、拓いていく。「ある」という事態の最深層に仏教哲学の「アラヤ識」を見届け、「空」と「無」を巡ってイスラーム哲学から現代思想までもが渉猟される。言語哲学者、イスラーム哲学研究の権威・井筒が生涯をかけた「世界的な視野を備えた新たな哲学」は、どんな地点に到達したのか。その哲学的営為の総体を受け止め、さらに先にある問題を見極める。 序 章 井筒「東洋」哲学 「東洋」哲学/井筒「東洋」哲学は何を目指しているのか 第1章 表層/深層 a)表層から深層へ コトバ/深層における分節化/分節化されたものから分節以前のものへ/事事無礙 b)深層から表層へ 理理無礙/分節(1)-「無」-分節(2)/挙体性起/存在の階層性/基付け関係/有力・無力 c)大地と理性ーーロシア的人間 ロシアの一九世紀/原始的自然/『コサック』/ドストエフスキー 第2章 空/無 a)「空」の徹底 理理無礙/神の彼方/〈無分節な「ある」〉への反転/「存在」の破れ b)空と無 『大乗起信論』におけるアラヤ識/ユダヤ教カッバーラー/バスターミーの「欺瞞」論/思考の無能力 c)砂漠と死ーージャック・デリダ ユダヤとギリシアの狭間で/砂漠における彷徨/墓場、あるいは死 第3章 〈いま・ここで=現に〉 a)「本質(マーヒーヤ)と「存在(フウィーヤ)」 「存在は本質の偶有である」/有「本質」か、無「本質」か/フウィーヤ・マーヒーヤ・タビーア/有「本質」論の三つの型/イスラーム「原子論」/無「本質」的存在分節/元型とイマージュ/意識と存在の構造モデル/「概念実在論」 b)〈いま・ここで=現に〉 「存在」の「独一性」/創造不断/吾有時/「純粋な可能性」としての「無」/証言 c)「入てん垂手」 聖諦と俗諦/俗、あるいは町という共同体/「無」の共同体
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