親鸞 激動篇 上

五木 寛之

2012年1月31日

講談社

1,650円(税込)

小説・エッセイ

海がある。山がある。川がある。すべての人々に真実を伝えたい。流罪の地・越後へ向かった親鸞は、異様な集団の動きに巻きこまれる。累計100万部突破の、前作『親鸞』につらなる超大作。

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3.2 2018年01月27日

12世紀中ごろから13世紀にかけて我が国宗教界にルネッサンス運動と呼んでいい程の一大ムーブメントが沸き起こった。それまでの仏教が厳しい戒律や学問、寄進を要求したのに対し、ただ、信仰によって在家のままで救われると説くものであった。これらは、新興の武士や農民たちの圧倒的支持を受けるとともに、その担い手たちもこれまでの官僧(天皇から得度を許され、国立戒壇において授戒をうけた仏僧)の制約から解き放たれた遁世僧(官僧の世界から離脱して仏道修行に努める仏僧)であった。 阿弥陀如来に帰依し、念仏を唱え、死後極楽浄土に往生することを願う信仰は、平安後期全国的に流行した。しかし,当時は多様な立場の僧たちが阿弥陀信仰をいだき、独立した宗派の形をとっていなかった。現世利益祈願は密教,来世の救いは浄土教というように、重層的な信仰の人々も多かった。しかしながら 戦乱の世にあって、つねに生きるか死ぬかの生活に身を置く武士たちにとって法然の教えは新しい救いになったのみならず、荘園を支配する公家や天台宗・真言宗の寺院、神社など既存の権威や権力と対抗していくため、阿弥陀如来のみに帰依する一神教的な信仰を受け入れたのである。日本仏教史上初めて、一般の女性にひろく布教をおこなったのも法然であり、かれは国家権力との関係を断ちきり、個人救済に専念する姿勢を示した。 さて、本書の主人公親鸞は、承元の法難で僧の身分をうばわれて越後国に配流となった。親鸞ほど個人的資料が残されていない人物も少ない。勢い激動篇上に書かれた物語は、ほとんどが著者の創作であると思われる。35歳の時に念仏禁制によって都を追放され、越後に流罪となった親鸞。郡司の監視下、一年の役についた後、異様な集団にであう。 生き仏を自称し、強力な法力の持ち主・外道院金剛だった。穢れを恐れず、多くの民の支持を得ていた。外道院が親鸞に興味を示したことから、彼の懐刀で影の軍師とみられる彦山房玄海が親鸞のもとを訪れる。越後の国の郡司・荻原年景は守護代に対抗して、河原の利権で外道院と手を組んでおり、 また、年景の腹心の部下で実務を仕切る・六角数馬は親鸞たちの監視兼世話役となっている。 一方、越後の国の守護代の戸倉兵衛は国司や郡司の力をそぎ、さらに外道院の持つ河川水利の略奪をもくろみ、たびたび外道院一派と対立。その対立に親鸞も巻き込まれてしまう。 念仏とは何かと苦悶し、民の現状を知り、また、目に見える利益を求める民にどう本当の念仏を伝えるかと悩む親鸞の姿が描かれる。

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