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笑う、避難所
石巻・明友館136人の記録
集英社新書ノンフィクション
頓所直人 / 名越啓介
2012年1月31日
集英社
792円(税込)
人文・思想・社会 / 新書
旧北上川の河口から約3キロ上流に位置する宮城県石巻市不動町。3月11日、川を逆流し町を飲み尽くす大津波を逃れて、人びとは勤労者余暇活用センター・明友館に集まった。指定避難所と違い行政の支援が届かないこの自主避難所は、わずか数週間後には在宅避難者や児童施設に救援物資を届ける「支援する避難所」に役割を変える。行政のシステムが機能不全を起こし被災者の困窮に追い打ちをかけ、ボランティアグループさえ十分に機能できない状況のなか、高齢者や子どもを含む136人は生き抜くためにどう闘ったのか。傑出したリーダーのもと不思議と笑い声の絶えない避難所に長期密着した奇跡のルポルタージュ。
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(無題)
東日本大震災で被災した宮城県石巻市の自主避難所「明友館」は指定避難所ではないから行政の支援の手は届かない。自分たちも被災しているにもかかわらず、ほかの避難所を積極的に支援し、奇跡の避難所とまで呼ばれるようになった。なぜそんな事ができたのか。そこには傑出したリーダーの存在があった。 「悲しみは3日で捨てた」千葉恵弘の言葉だ。彼は日本中、世界中を渡り歩いていたというが、なぜか、たまたま3.11の大震災の時には、地元・石巻に帰っていた。「まるで被災しに帰って来たようなものだった」彼は宿命という言葉を使った。「逃げられないものだったんです」「僕自身は、起きてしまったことを後悔したりとか、根拠もないポジティブな妄想を抱いたりっていう感覚は持っていないんです。津波はなかったことにできないし。津波で妹を亡くしたけれど、大事なのは今生きている人間なんだと悲しみは捨てました」。 3·11大震災とそれに引き続く福島第一原発事故により、大きく信頼を失ったのは国及び権威付けされた機関や学者などであった。これに対して、被災者からの信頼を得たのが地方自治体や自衛隊であった。さらに言えば、戦時におけるサバイバル能力である。千葉は決して敏腕な実務家ではない。むしろ、表街道からちょっと外れたところでやんちゃな生き方をしてきた。それだけに世間の常識やルールに縛られない発想があった。例えば、指定避難所に100人の避難者がいるとして、今支援物資が80人分あったとする。平等を期すため100人分揃うまで配布しないのが行政のやり方だ。これに対して千葉は80人分あればそれを困っている人から優先順位をつけて配布してしまう。また、津波の後始末、汚泥の撤去に避難所総出で当たったたとき、手を出そうとしない人間がいる。そんな人には誰もが非難の目を向けるだろう。ところが千葉は、放っておくのである。できることをできる人がやるのが千葉流だ。100人を超す避難者が共同生活をするのであるから、最低限のルール作りが必要になってくる。そこで定められたルールはただ1つであった。「うんこをしたら水で流す」。 行政システムが機能不全を起こし、ボランティアグループさえ十分な活動ができない状況をあざ笑うように、彼らは受け入れ拒否の避難所にさえ支援を行う「奇跡の避難所」となった。社会福祉協議会や大規模なボランティアグループのリーダーたちが泣いて悔しがるような活動がここにあった。
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