英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる

集英社新書

施 光恒

2015年7月17日

集英社

1,034円(税込)

語学・学習参考書 / 新書

英語化を進める大学に巨額の補助金を与える教育改革から、英語を公用語とする英語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、それはまやかしだ。社会の第一線が英語化されれば、知的な活動を日本語で行ってきた中間層は没落し、格差が固定化。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展するという現代政治学の最前線の分析と逆行する道を歩むことになるのだ。「愚民化」を強いられた国民はグローバル資本に仕える奴隷と化すのか。気鋭の政治学者が英語化政策の虚妄を撃つ!

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2.7 2018年02月14日

ファストリテイリングや楽天が社内公用語を英語に決めたニュースは、ある種の衝撃を社会に与えたように思われる。グローバルな事業展開を繰り広げる企業では、ある意味必然的な成り行きなのだろう。しかし、本書が批判する「英語化」は、日本語を捨てて英語に置き換えようとするかのような一国の国語政策の愚かさについてである。 日本の企業が世界規模で生き残るには英語を自在に使いこなす人材が必須である。企業活動ばかりか、学術分野でも論文発表は英語であり、勢い英語に一本化された競い合いに、研究者も追い立てられようとしているのが世界の現実だ。 グローバルな人材育成のため、政府は中等教育での英語授業は、英語だけを使って行い、大学の授業はその半数以上を英語によるものとする構想を発表した。しかし、ここに孕む危うさを政策を実行に移す文部官僚が明確に認識しているとは言い難い。高等教育が英語化されれば、私たちが使う日常言語は、知的生産の場から、やがて退場させられのは必至である。それが日本人の知的活動に劣化をもたらすのは、歴史が証明している。 著者は、言語の面から見るならば暗黒の中世は、ラテン語という共通語が一部のエリート層、就中カソリック教会の聖職者に握られていたところから発したものであり、宗教改革によって聖書がドイツ語やフランス語、英語の土着語に翻訳される中で人々は教会のくびきから解放されたと、解説する。また、我が国でも明治時代に先進国化を焦るあまり、当時の文部大臣・森有礼が英語国語化を提唱したのに対して、福沢諭吉らが欧米の新概念を日本語に翻訳した例をあげて、それが日本人を如何に知的な民族に導いたかをあげている。 著者はこの英語化政策の裏に、新自由主義者の影を見ている。言葉を変えればアングロサクソンの世界戦略である。これにやすやすと乗っては、我が国の国益を失うばかりか、国民の幸せはない事を肝に命ずべきだ。

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