家、家にあらず

松井今朝子

2005年4月30日

集英社

2,090円(税込)

小説・エッセイ

本棚に登録&レビュー

みんなの評価(1

starstarstar
star
3.7

読みたい

2

未読

0

読書中

0

既読

2

未指定

3

書店員レビュー(0)
書店員レビュー一覧

みんなのレビュー (1)

Readeeユーザー

(無題)

starstarstar
star
3.7 2020年12月28日

現代社会に生きる我々の価値観からすれば、何よりも個人の自由が最優先されるべきだろう。しかし私たちが織りなす現実社会は、時としてそんな価値観を真っ向から打ち砕く社会秩序があって、私たちはそれを疑問に感じずに過ごしていたりする。例えば芸事の家元制度にそれを見出すことができよう。また、歌舞伎も一部の名門が主役を独占することに多くの人は疑問を差し挟むことは無い。もっと言えば天皇制である。天皇家の万世一系は、全くの嘘っぱちと誰もが知っていながら、皇室を根本から考え直そうとしないのがこの国人である。ところで私たち庶民が身近なところでイエを意識するのは、夫婦別姓問題では無いだろうか。夫婦同姓は民法で定められていて、国家によって強制される。個人の自由なる意思が入り込む余地は微塵もない。夫婦同姓が定められたのは明治時代である。それ以前、封建社会の「イエ(家)制度」が根底にあってのことと思われる。当時の支配階級、武士の家禄は徳川体制発足時の戦功によって定められ、余程の失敗が無いかぎり、それが数百年にわたって続いたのである。つまりイエの存続こそが経済の基盤となったのだ。そして、相続は男子に限られたところから、大名家にあっては嗣子問題が覇権争いと相まって所謂お家騒動を呼び起こすところとなるのだった。 一方、同じ武士でも下士階級、いわゆる足軽・雑兵はどうであったか、と言えば、これは一代限りの建前であった。本編のヒロイン瑞江の父・笹岡伊織は、北町奉行所同心を務める御家人であった。一代限りの非正規雇用であるから、毎年更新である。不始末があれば更新されないのは、当然だ。笹岡家には実子はいない。瑞江も弟も養子である。つまり血の繋がりのない4人が家族として暮らしていたのだった。瑞江の母が亡くなった。瑞江の母方の“おば様”のすすめで二十余万石の大名・砥部家上屋敷へ奉公に上がることになる。そして、事件が次々と起こるのだった。先ずは砥部家下屋敷の女中と二枚目役者の心中死体が発見される。さらに上屋敷でも奥勤めの女性ふたりが不可解な死を遂げた。やがて瑞江は事件の驚くべき真相に立ち会うことになる。本編は時代劇ミステリーである。 さて、最後に書名について触れておこう。これは世阿弥の言葉である。 「家、家にあらず。継ぐをもて家とす」とある。「家はただ続くから家なのではない。継ぐべきものがあるから家なのだ」との言いである。しかもさらにこう続くのである「人、人にあらず、知るを以て人とす」。「人もそこに生まれただけでそこの人とは言えない。その家が守るべきものを知る人だけが、その家の人と言えるのだ」との意味である。これを踏まえて本編の内容を振り返ると、実に感慨深いものが心に残る。  

全部を表示
Google Play で手に入れよう
Google Play で手に入れよう
キーワードは1文字以上で検索してください