死ぬことと見つけたり 上
新潮文庫
隆 慶一郎
2007年9月30日
新潮社
693円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
常住坐臥、死と隣合せに生きる葉隠武士たち。佐賀鍋島藩の斎藤杢之助は、「死人」として生きる典型的な「葉隠」武士である。「死人」ゆえに奔放苛烈な「いくさ人」であり、島原の乱では、莫逆の友、中野求波と敵陣一番乗りを果たす。だが、鍋島藩を天領としたい老中松平信綱は、彼らの武功を抜駆けとみなし、鍋島藩弾圧を策す。杢之助ら葉隠武士三人衆の己の威信を賭けた闘いが始まった。
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(無題)
「武士とは死ぬことと見つけたり」。言わずと知れた「葉隠」の一番有名な一節である。葉隠は佐賀鍋島藩が武士としての心得についてを綴ったものである。「武士道」を言い表わしたものとも言われる。本書はそんな葉隠精神を体現した鍋島藩士中野求馬と佐賀浪人斎藤杢之助、牛島萬衛門の三人の外連味のなさに何処かユーモアさえ漂う物語である。 本書の持つ滑稽さを少しばかり考えてみたい。それは彼ら三人の抱く武士道が純粋であるがゆえに多くの武士にとって違和感を抱く所から起きてきたことのように思える。彼らが闊達に武士の精神世界を歩きまわって武士の常識を破壊していくさまは読者に爽快感さえ味合わせる。彼らの葉隠にのみ忠実な精神の自由さは、これまで読んできた隆慶一郎の漂白の民を描く作品に通ずるものがある。また、死を日常生活の中で意識し、死の恐怖を乗り越えた葉隠精神は、殺戮を生業とする武士を精神的高みにまで導くものであるが、そこには強さよりも儚さと美しさがあり、日本人の元々持つ精神性が感じられる。 いつ死んでもいいという単純明快な死生観をもって毎日を真剣勝負で生きる。大事ことだが、凡人になかなかできることではない。
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