家守綺譚
新潮文庫
梨木 香歩
2006年10月31日
新潮社
605円(税込)
小説・エッセイ / 文庫
庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多…本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。-綿貫征四郎の随筆「烏〓苺記(やぶがらしのき)」を巻末に収録。
みんなの評価(35)
starstarstar読みたい
35
未読
30
読書中
8
既読
277
未指定
231
書店員レビュー(1)書店員レビュー一覧
みんなのレビュー (4)
(無題)
かつて、日本人は狸や狐に騙されていた。そんな話を聞かなくなったのは、いつ頃からだったろうか。多分、高度経済成長期以降のことなんだろうと思う。開発が進み、自然が失われた事と密接に関連しているのだろう。それ以前の日本人は自然とともに、自然の恵みの中で生活していた。その一方で草木に慈愛を注いで育てることに人間は今よりも熱心だったのではなかろうか。だから植物と人間の交流には、現代よりももっと濃密な空気が流れていたと思われる。 現代人の生活実感や感性からすれば、こんなこんな事を言う人間はどこか浮世離れしているか、さもなければ精神疾患を疑われかねない。だから、著者は時代設定を今から100年前にしているし、登場人物も学士で物書きとしている。明治時代の大学と言ったら、官僚育成機関の旧帝大である。ところが、この主人公たるや、就職はおろか生活の糧を得ることにも淡白な御仁である。 21世紀の現代日本では、住宅の7軒に一軒が空き家だそうだ。そのうち社会問題として深刻化する事は明白だ。戦前の日本では借家が一般的でマイホームを取得することの方が稀であった。政府の政策によるものなのか、あるいは住宅メーカーや銀行の思惑か、よく分からないが、今では住宅が過剰で空き家が多いのは皮肉な現象だ。それはそうと、無人の家屋は傷むスピードが早いのは、周知の事実だ。だから、留守番に誰かに住んでもらえれば、それに越したことはないのだが、現代では法律問題で厄介な事案が発生するのを恐れてか、そんな話を聞くこともない。 本書が想定する明治時代には、大家の代わりに住んで幾ばくかの謝礼をとるのがあったようだ。これを家守と言う。綿貫征四郎は亡くなった大学時代の親友・高堂の実家の家守となった。 この家の床の間の掛け軸からは、死んだはずの高堂が出てきて征四郎と語り合う。高堂が言うには、庭のサルスベリが征四郎に気があるそうだ。事実、征四郎が狸にたぼら化されそうになった時、若い娘となって救ってくれたことがあった。 本書では古風な文体とともに、こんな不思議な物語が語られる。不思議だからと言って、何か意味があるのだろうと、探っても何かを見出すことは出来ない。現実の世界では絶対に触れることの出来ない雰囲気を味わうのが、この小説を美味しくいただく極意だ。
全部を表示ー部を表示いいね0件
close
ログイン
Readeeのメインアカウントで
ログインしてください
Readeeへの新規登録は
アプリからお願いします
- Webからの新規登録はできません。
- Facebook、Twitterでのログイ
ンは準備中で、現在ご利用できませ
ん。
X
LINE
楽天ブックスサイト
楽天ブックスアプリ
Readeeユーザー
(無題)
梨木香歩さんの作品を初めて読む。明治末期くらいを舞台にした不思議な日常。こんな家に住んでみたいと思える。懐かしくて、温かくて優しい。そんな読後感。
全部を表示いいね0件