
泣き童子 三島屋変調百物語参之続
宮部 みゆき
2013年6月28日
文藝春秋
1,870円(税込)
小説・エッセイ
不思議で切ない「三島屋」シリーズ、待望の第三巻 江戸は神田。叔父の三島屋へ行儀見習いとして身を寄せるおちかは、叔父の提案で百物語を聞き集めるが。人気時代小説、待望の第三巻。
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『おそろし』『あんじゅう』に続く宮部みゆきの三島屋変調百物語の第三巻目です。6話の短編が収められた怪談話ですが、単に怖いばかりでなく、悲哀に満ちた物語です。それは古来からの日本人の精神性に根ざした部分に光を当てているからなのです。書名にもなっている『泣き童子』からそれを考えてみることにしましょう。このお話は、三歳の男の子が人の心に巣食う邪悪なものを見抜いてしまうというものです。この子は悪業に染まった人間が側に居ると、火の付いたように泣き叫ぶのです。相手がたとえ三歳の子供でも見抜かれたと感じた人間の恐怖感は凄まじく、やがては自らを追い込んでしまいます。この辺の宮部の筆力には脱帽ですね。今回は、童子の神性について民俗学的な見地から考察をしてみたいと思います。 日本には古くから「七つまでは神のうち」という言葉があります。子供は数え年7歳になるまでは神とか霊といったものの世界に属しているということです。この当時、人々の乳幼児への接し方は、全くの放任と言えるほどで、現代の私たちが考える躾などはこれっぼっちもありませんでした。江戸時代、手習いという初等 教育の開始は満7歳を迎えてからでした。これ以降、人間としての社会教育が始まったのでした。これは、一つには衛生環境や医療技術の未発達から乳幼児の死亡率が高く、生き延びる目安がたつ以前に教育と言う社会資本を投じる事の非効率性を避けたと言うこともありましょうが、私には経済要素よりも精神性が勝っていたように思われます。 それは、子どもは神や悪霊といった超自然的存在と接触をもちやすいといったことだったようです。例えば、稚児が神の宿る依として扱われるのも、また、子どもの不可思議な失踪事件を「神隠し」と呼んだのも、同じように、子どもがあちら側の世界と非常に近いところにいるという認識の所産でしょう。日本の伝統的な思考法のなかでは子どもは「小さな大人」ではなく、異界との境界的存在とみなされていたように思われます。 このようなことは、本書とは直接関係がありませんが、そんな視点を持って本書に接すれば、より楽しめるかもしれません。
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シリーズのこれまでの中で、一番おどろおどろしかった。特に、まぐる笛の話は、映画にできそう。テレビで見たっけ?まぐる笛は番組にはなってないらしい。満足の一冊。
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