先生のお庭番

徳間文庫

朝井まかて

2014年6月6日

徳間書店

693円(税込)

小説・エッセイ / 文庫

出島に薬草園を造りたい。依頼を受けた長崎の植木商「京屋」の職人たちは、異国の雰囲気に怖じ気づき、十五歳の熊吉を行かせた。依頼主は阿蘭陀から来た医師しぼると先生。医術を日本に伝えるため自前で薬草を用意する先生に魅せられた熊吉は、失敗を繰り返しながらも園丁として成長していく。「草花を母国へ運びたい」先生の意志に熊吉は知恵をしぼるが、思わぬ事件に巻き込まれていく。

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Readeeユーザー

(無題)

starstarstar 3.0 2018年01月26日

僕らの親の世代は、西欧人を差別的なニュアンスを込めて毛唐と呼んでいました。江戸時代にあっては、南蛮人や紅毛人と呼んでおり、この二者には明確な立て分けがありました。 15世紀中ばからの大航海時代の中心的役割を担ったのは、スペイン人やポルトガル人でした。当初アジアに進出し、拠点としていたのも彼等でした。東南アジアを植民地化した彼等を漢人は、中華思想から南蛮と呼んだのでした。人種的にはラテン系で宗教はカソリックです。イエズス会の宣教師が布教を名目に侵略の尖兵となりました。彼等の髪や眼の色は黒く、背もそれ程高くありませんでした。一方、栄枯盛衰は世の常、新大陸から略奪した銀をベースに経済的繁栄を誇り、日の沈むことの無いと思われたさしものスペイン、ポルトガルもやがてオランダや英国に取って代わられる時が来ました。ゲルマン系の彼等は、背が高く、眼は青く、ブロンドの髪を持っていました。そこで紅毛人と呼ばれました。また、当時の日本の為政者は、カソリックは国益を損なうものとしてバテレン追放令を発令するなど、キリスト教を弾圧しました。そんな間隔を縫って進出したのが、プロテスタントで経済的にも勃興期にあったオランダや英国でした。 先生とはシーボルトの事です。シーボルトは当時の西洋医学の最新情報を日本へ伝えると同時に、生物学、民俗学、地理学など多岐に亘る事物を日本で収集したことで知られます。サクラソウ、ミセバヤ 、ヘビノボラズ 、キセルアザミ、ウスバサイシン、スダジイ 、チョロギ 、ゴマギ、 ヤマナラシこれら日本の植物の学名にはシーボルトの名が冠されています。そしてお庭番とは、隠密の御庭番では無く、庭師の事です。いや、庭師と呼ぶにはまだ余りに年若い園丁・熊吉の活躍が、シーボルトの高名の陰に隠されていたというのが本書の主題です。 チョット面白いエピソードとして、シーボルトは阿蘭陀語を得意げに話す日本人を嫌ったと文中にあります。これはシーボルトが実はドイツ人で阿蘭陀語は流暢ではなかったという史実を踏まえているんですね。 シーボルトは日本に来て、西洋には無い日本の四季の色彩の素晴らしさに心から魅惑されるんですね。日本の485種の花木、草花を千箱も生きたまま本国オランダまで輸送することに夢中になります。 花木、草花をテーマに当時の日本人の人情と景色の素晴らしさも再認識される清々しい物語となっています。 また、最後に紫陽花の学名がオタクサとなっている秘密が明かされところなどは、一瞬唸ってしまいます。

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