2045年問題

コンピュータが人類を超える日

廣済堂新書

松田卓也

2013年1月31日

廣済堂出版

880円(税込)

科学・技術

2045年にコンピュータの能力が人類を超えるという説がある。実際に、近年のコンピュータの進化はその説に沿っており、またいま欧米では人工知能開発に一層の拍車がかかっている。意識を備えたコンピュータが人類を支配するというSF映画の世界が、現実になるかもしれないのだ。コンピュータと人類の未来を展望する。

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松田卓也「2045年問題 コンピュータが人類を超える日」

『コンピュータの能力が全人類の知能を超えてしまう』 そんな未来が、あと30年でやってくると信じられるでしょうか? 本書は、そんな話が現実のものであると指摘し、我々の未来がどうなっていくのか垣間見せてくれる作品だ。 先に一つ断っておく。 本書の発行は2013年だ。本書の冒頭で著者はこんな風に書いている。 『2045年問題について述べている人は、日本では私以外にほぼ皆無といってよいでしょう。たとえばいまグーグルで検索してみても、専門家のページでヒットするのは、私のブログだけです。日本の知識人の多くは、この問題をほとんど認識していないか、知っていてもオカルトサイエンスやSFの類いのひとつだとして、真剣に考察していない節があります。』 一方現代では、「人工知能」「AI」と言った単語が、新聞や雑誌やテレビに頻繁に登場します。見ない日はない、と言ったら嘘になるかもしれませんが、それに近いぐらいかなり注目されている話です。 何故か。 それは、技術の進歩により、この「2045年問題」がよりリアルに感じられるようになったからでしょう。 本書は、「2045年問題」が、少なくとも日本ではリアルに捉えられていなかった時期に出版された本だ。そういう意味で、現時点の最新の知見が載っているわけではない。だから古い作品ではあるのだけど、しかし冒頭で引用した『コンピュータの能力が全人類の知能を超えてしまう』ということがまったく想像できないし嘘だと思う方は、まず本書から読んだ方がいいでしょう。まさに本書は、「日本中ほぼ誰も2045年問題に注目していなかった時期に書かれた作品」なわけで、そういう人向けに書かれています。最近出版されている本にも入門書的な作品は色々あるでしょうが、どの程度の知識を前提としているのかは作品によるでしょう。本書は、書かれていることは古いと思うのだけど、入門書としては適切ではないか、と僕は感じます。 未来のある時点でコンピュータ技術が爆発的に発展し、それより先はコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる、という仮説が欧米を中心に真剣に検討されているようです。そして、そうなる時点のことを「技術的特異点」あるいは「シンギュラリティ」という呼び名の方が有名かもしれませんが、そんな風に呼びます。 そして、そのシンギュラリティが、2045年頃に起こるのではないか、と言われてるのです。なのでこの問題は「2045年問題」と総称されています。 コンピュータが人間のように認知、思考する能力を身につけるなんていうことが、本当に起こりうるでしょうか? 記憶に新しいのは、グーグルが開発した碁の人工知能「アルファ碁」です。アルファ碁は、韓国のトップ棋士、そしてそれはつまり、世界最強の棋士ということでもあるのですけど、そのトップ棋士を打ち破ってしまったのです。 これは、あと10年は不可能だと言われていたことでした。将棋と比べて碁は、打ち手の数が天文学的な数で、従来の方式では人間に勝つ機械を生み出すことはまだまだ不可能だと思われていたのです。 しかしそれを実現させてしまった。 グーグルが用いたのは「ディープラーニング」という、人間が経験や思考を蓄積していく過程を模したプログラムだそうですが、この詳細は僕は知りません。ただ、この「ディープラーニング」という手法は、人工知能の業界を驚嘆させ、一変させる力を持った凄い技術だったという認識はしています。このような技術革新がどんどん起これば…。 僕自身は、2045年より前なのか後なのか、それは分からないけど、いずれコンピュータが人類の知能を超えるだろうと思っています。もちろんそれは、様々な人の意見を真に受けているわけで、自分で考えた結論ではありませんが、しかしそれは避けられないだろうなと感じます。人間の脳だって、基本的には電気的な信号でやり取りしているわけです。脳の仕組みを解明する、あるいはそこまでいかなくても、結果的に脳の仕組みを真似出来るようなシステムを組み上げることが出来てしまえば、あとはメモリやCPUなどのスペックの問題でしょうし、そういうスペックは明らかにコンピュータの方が高いでしょう。 『さらに、この究極の未来では、人類が神になるとカーツワイルは述べています。全宇宙がコンピュータ化した未来では、コンピュータが世界そのものなのですから、そのコンピュータをつくった人類は創造神とみなされるというわけです』 本書にこんな記述がありますが、これを読んで僕はこんな妄想をしました。僕らも、僕らが「造物主」や「神」と呼んでいる「前時代の知的生物」によって作られた「人工知能」なのではないのか、と。我々を作り出した「造物主」「神」は、我々より優れていたわけではなく、結果的に自分たちよりも能力の高い存在を生み出してしまったが故に駆逐されてしまった「前時代」の知能の持ち主なのではないか、と。まあそんなことはないでしょうが、そうだったら面白いなと思ったりします。 本書では、コンピュータが進化し続けた未来で一体どんなことが起こりうるのか(しかも遠い未来ではなく、ここ30年、もっと遠くてもここ100年近くでどんなことが起こるか)を様々にイメージさせてくれます。興味深い話もそうでない話も様々にありますが、僕が面白いと思ったのは以下の四点です。 ◯ コンピュータが意識を持つことについて ◯ 学習による価値観の習得 ◯ 「人口知性戦争」について ◯ 衰退と技術革新のバランス 「コンピュータが意識を持つことについて」というのは、様々な物語で触れられる機会もあるからイメージはしやすいでしょう。ただ、僕はあまり意識していなかったのは、「欧米人ほど、コンピュータが意識を持つかどうか気にする」という点です。少なくとも、著者はそう主張します。 『ところが、多くの研究者は、コンピュータが意識をもてるか否かという点を盛んに気にしています。これはきっと、欧米のキリスト教文化が影響いていると思います。 キリスト教徒にとってじゃ、「自由意志」という概念が大変重要です。神が「信じなさい」と命じるのではなくて、「私の自由意志で信じます」という形です。そのため、コンピュータに意識という自由意志が宿るかどうかは、彼らにとって大問題になるのです』 そしてその後で、日本では殿様のためとか国のためという価値観が支配的だったから、自由意志を尊重する価値観がない、だから日本の研究者はそこにあまり関心を持たないのだ、と続けます。 本当に日本人が、コンピュータに意識が宿るかどうかに欧米人と比べて無関心なのかは分からないけど、そうだとすれば、キリスト教的価値観によるのだという指摘はその通りだろうし、面白い見方だなと思いました。ただ日本でも、ドラえもんや鉄腕アトムみたいな、人工知能と呼んでいいだろう存在が自然に受け入れられているので、徐々に、コンピュータに意識が宿るのかを気にする日本人が増えていてもおかしくないのかなという気はしました。 そして「学習による価値観の習得」は、まさにこの「価値観」という部分が重要になってきます。 『もし強い人工知能ができて意識をもったとすれば、なんらかの価値観を備えます。その価値観は、4章で述べた通り、だれに育てられるかによって左右されます。欧米人に育てられれば、欧米のキリスト教的価値観が、中国人に育てられれば中華思想的価値観が自ずと育まれることでしょう。』 なるほど、こういう観点で人工知能を捉えたことはなかったな、と考えさせられました。 確かに、自分で思考出来る人工知能が誕生したとしても、それは赤ん坊のような存在です。そこから何をどう学んでいくかによって、人格のようなものが形成されていき、固有の価値観を持つようになるわけです。 その過程を誰が担うのか。これは非常に大きな問題です。何故なら、恐らくですが、最初にそういう人工知能を開発した国や組織が、地球全体のシェアを握ってしまうように思うからです。一番乗りしたところが、世界の覇権を握ってもおかしくないと思うわけです。 日本人が開発して日本の価値観によって育てられた人工知能が地球を覆い尽くすならいいですが、そうではないとしたらどうでしょう?僕らは、日本に住んでいながら、日本固有の価値観に沿って生きていくことが出来なくなるかもしれません。 これは嫌だな、と思いました。僕は、人工知能が人間を超えるのはまあその通りだろうと思っているし、ある程度人工知能に支配される未来は受け入れるしかないと思っている人間だけど、それでも、日本とは違う価値観によって教育された人工知能に支配されるとしたら、それはもの凄く嫌だなと感じました。 「「人口知性戦争」について」も考えたことがなかった発想なので興味深いと思いました。 『デ・ガリスは、人類が危機にさらされるとしても神となる人工知能をつくろうという人々を「宇宙主義者」、それに反対する、人間が大事だという人々を「地球主義者」と呼びます。そして、21世紀後半、両者の間で大戦争が起きるというのが、デ・ガリスの未来予測です。彼はその戦争を「人口知性戦争」と呼び、数十億人が死ぬことになるだろうといいます。デ・ガリスのこの説は、欧米の一部では大論争を呼んでいます』 これも、ありうる未来だな、と思いました。確かに、「コンピュータが人類を超える」という認識を受け入れたとしても、そこから人間の反応は二つに分かれます。その流れに乗る派(宇宙主義者)と、それでもその流れに反対する派(地球主義者)です。現代でも、例えば著名な物理学者であるホーキング博士は、人工知能を進化させることに対して警告を発しているし、テスラモーターズやSpaceXの創業者であるイーロン・マスクも同じように人工知能に対して懸念を示しています。 人工知能の進化は、このままにしておけば、いずれ人類の知能を超えるところまで行くでしょう。しかしそれを人間の理性が阻止する、という可能性は確かにまだ残っています。技術的には可能でも人類が遺伝子操作によって「試験管ベイビー」を生み出していないように、これ以上人工知能を進化させることに危機感を抱いてその進化をストップさせる、という未来がありうるのかもしれない、という気もします。それを食い止めるために争いが起こるのだとしたら、それは無意味だと感じるけれども。 人間の好奇心を食い止めるのは、相当に困難でしょう。しかし、近い将来、コンピュータの進化の過程で、人間がコンピュータの進化に対して強い嫌悪感を抱くような出来事が起こるかもしれません。ロボットやCGアニメの世界で有名な「不気味の谷」という現象があります。これは、ロボットやCGアニメでの人間の顔が、人間にある一定以上近づき過ぎると、逆に不気味に感じられてしまう、というものです。コンピュータの進化が進むことで、ある瞬間から「不気味の谷」のような現象が起こり、人工知能の進化の手を緩めるような働きが加わるかもしれません。 さらに、人工知能の開発を停滞させるかもしれないものがあります。それが「衰退と技術革新のバランス」で描かれるのだけど、要は、技術革新を生み出すためのお金がないかもしれない、ということです。 これは盛んに言われていますが、人工知能の進化によって、人類の仕事がどんどん奪われていくようになります。そうなると、仕事のない人間が増え、消費が増えず、経済が回らないために、地球全体の富が減少する、というような未来がやってくると予測されています。 そうなった時、人工知能を進化させるだけの金銭的な余裕がない、という未来だって十分に考えられると著者は指摘します。確かにありえない話ではありません。地球全体の富を消費し尽くすのが先か、意識を持った人工知能が開発され、人類の生活が新しいステージへと進んでいくのが先か。これからは、そういう競争でもあるのだな、と認識しました。

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みんなのレビュー (1)

Readeeユーザー

-- 2019年12月05日

・カーツワイルの上を予想するデ・ガリス。アーティレクト ・理論上原子一つが一素子になることが可能

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