二代将軍・徳川秀忠

忍耐する“凡人”の成功哲学

幻冬舎新書

河合敦

2011年3月31日

幻冬舎

836円(税込)

人文・思想・社会 / 新書

「凡庸な二代目」として描かれることの多い徳川秀忠。確かに彼は、関ヶ原に遅参するという失態を犯して以来、家臣団の無礼な態度にもじっと耐え、六歳年上の正妻・江に気を遣って側室も持たず、二代将軍になってからもお飾りに甘んじて、実権を握る父・家康にひたすら平伏し続けてきた。しかし偉大な父親が死ぬと、彼は仮面を脱ぎ捨てて、苛烈な大名統制策に乗り出す。最終的に潰した大名家はなんと四十一家。類稀なる忍耐力と、容赦ない政治手腕で徳川幕府二六〇年の基盤を築き上げた、知られざる二代目将軍の生涯。

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2.7 2018年01月27日

秀忠は隆慶一郎の小説では、徹底して悪役として描かれている。家康の子の中から選ばれて将軍となったのだから、凡庸であるわけはないとして、猜疑心の強い狭量な人物とされている。また、三代将軍・徳川家光に関わる古文書には何故か二世権現や二世様などと記された文章が多数存在する。家光が二世ならば秀忠の存在はどうなるのか。大きな謎である。ともあれ、秀忠の人物像に近づきたくて本書をひもといた次第である。 第二章は秀忠が関ヶ原に遅参した本当の理由、となっている。これでは関ヶ原に攻め上る前に行った上田城攻撃で真田昌幸にいいように翻弄されて時間を費やしたと、これまで伝えられていた以外の理由があるように思える。ところが、読み終わっても、そんなものは何処にも書かれていないのである。結局は知将・真田に手玉に取られ、頭に血が登った挙句に大局観を見失ってしまう凡庸な武将としてしか映らない。 かつて秀忠は家康から「梯子をかけてもその律儀さには及ばない」と評された。また、ひたすら父親に平伏し続け、本田政信ら老臣たちにも丁寧に対応してきた。しかし、秀忠のこんな顔は実は仮面であった。家康が死んで2ヶ月後、秀忠は仮面をかなぐり捨てた。その素顔は人々を凍り付かせるような峻冷徹なものだった。まずは、秀忠に取って代わる可能性のある実弟の松平忠輝の領地を没収し、配流したのである。さらに居城を無断修復したと言うささいな罪で関ヶ原合戦で功績のあった福島正則から容赦なく領国を取り上げた。最終的に秀忠が潰した大名家はなんと41家、石高にして439万石に達した。こうした大名統制政策により、将軍の権威を飛躍的に高めたのである。 一言で言えば、家康と秀忠の政治手法の違いと言うことになろうが、そこには遥かな違いが存在する。家康は人を生かそうとする人間臭さがあるが、秀忠には容赦無に切り捨ててしまう冷たさが感じられる。数十年に渡って本心を隠し続けて律義者を演じ続けた秀忠の忍耐強さと言おうか、家康亡き後に我が思いを達成するとの執念深さと言おうか、爬虫類的冷血さを禁じ得ないところだ。 著者は秀忠は他人に厳しかったとともに自分にも厳しかったとエピソードを添えて紹介している。それがせめてもの救いだ。

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