来るべき民主主義

小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題

幻冬舎新書

國分功一郎

2013年9月30日

幻冬舎

858円(税込)

人文・思想・社会 / 新書

二〇一三年五月、東京都初の住民直接請求による住民投票が、小平市で行われた。結果は投票率が五〇%に達しなかったため不成立。半世紀も前に作られた道路計画を見直してほしいという住民の声が、行政に届かない。こんな社会がなぜ「民主主義」と呼ばれるのか?そこには、近代政治哲学の単純にして重大な欠陥がひそんでいたー。「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」と住民運動に飛び込んだ哲学者が、実践と深い思索をとおして描き出す、新しい社会の構想。

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Readeeユーザー

(無題)

-- 2018年01月22日

本書の題名に違和感を覚えたのは、僕ばかりではないと思います。なぜならこの言葉には近い将来には現在の民主主義とは違った民主主義が到来するといった意味合いが含まれており、もし、その事を強調したくて使うのであれば「新しい民主主義」とした方がぴったりするのではないか、と思ったからです。この違和感を解消し得たのは、最終章に至ってからでした。「来たるべき民主主義」とはフランスの哲学者ジャック・デリダの思想だったのです。その意味するところは、次の一説に明確です。『われわれは完成した民主主義の姿を想い描くことができない。とは言え、社会はもっと民主的になるべきだし、民主的にしていける。デリダはこの2つの意味を「来たるべき民主主義」という1つの表現に込めたのである』。つまり、私たちは完成された民主主義の世界に棲んでいると思っていますが、実は完成された民主主義などあろうはずがなく、民主主義は常に来たるべきものに止まるべきだ、と言うのです。言葉を変えれば、漸進的改良主義といっても良いと思われます。 本書はこのような認識に基づいて書かれたものです。著者の主張するところは次のようなものです。『議会制民主主義には大いに問題がある。だが、だからといってこれを根本から変えなければならないと言う発想では何もできない。そもそも議会と言う立法府の力で全てが統治できると思っていたことが間違いだったのであり、実際に統治のための多くの決定を下しているのは行政府であると言う現実を踏まえて、この現実に対応する策を講じなければならない』。 このことを本書に沿ってもう少し詳しく説明しますね。民主主義は「主権が民衆にある政体」ですね。また近代政治理論では「主権」とは立法権であるとされます。ですから近代民主主義国家は、主権=立法権という建前に則っています。この結果「何かを決めるのは立法府であり、行政はその決定に従って粛々と業務を遂行するだけである」ということになります。ところが、現実に様々なことを決めるのは行政(官僚)です。法案も事業案も官僚が作り、決め、議会はそれを承認する場になりさがっています。しかも、行政権には民主的にアクセスする方法が整備されていないのが現実です。私たちが統治に関わりをもつのは、選挙だけしか許されていないのでしょうか。 著者はこの点について極めて具体的な提案を行っています。すなわち「住民投票制度についての4つの提案」「審議会などの諮問機関の改革」「諮問機関の発展形態としての行政・住民参加型のワークショップ」「パブリック・コメントの有効活用」です。議会制民主主義に強化パーツを足して補強するといった著者の論考は、強靭な行政の壁に穴を穿つ作業に似ていますが、きっと大きな広がりとなっていくことでしょう。

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