検証・法治国家崩壊

「安保関連法案は憲法違反」との憲法学者の大合唱に政府は、平然と自らの主張を貫き通した。彼らの自信は何に裏付けされているのか、あるいは自民党高村副総裁が根拠として挙げた「砂川判決」とはどのようものであったか、また判決文を読んでみたい、との思いが本書を手に取った主な動機であった。 法曹人である高村自民党副総裁の主張は、概ね次のようなものであった。「最高裁判所による判決は、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと認めた。必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておらず、集団的自衛権の行使は認められないなどとは言っていない。さらに、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う」と明確な判決を下している。 これを判決文と照らし合わせてみると、高村副総裁の言い分は、拡大解釈や一部を切り取って自分に都合の良いように、判決文を利用しているように見える。まずは集団的自衛権が合憲とのくだりであるが、確かに判決では主権国家固有の自衛権は否定していないし、個別的、集団的の区別には言及していない。しかしながら、それが即、集団的自衛権の行使は合憲である、との結論に結びつけるのはいささか乱暴すぎやしないだろうか。また、最後の「内閣と国会の判断に従う」に関してはそのあとに「終局的には、主権を有する国民の判断に委ねられるべきだ」の一節を意図的に削り落としたとも考えられる。 翻ってみれば、砂川判決自体が非常に疑義に満ちたものであることが、判決文を吟味する中で見えてくる。この判決は「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である」とした東京地裁の伊達判決を覆すもので、その根拠は「一見きわめて明白に違憲無効であると認められないかぎりは、裁判所の司法審査権の範囲外である」とし、「米軍の駐留は憲法9条、98条二項、前文に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見きわめて明白であるとは、とうてい認められない」とした。つまり伊達判決を裁判所の司法審査権の範囲逸脱としながら、最高裁自らは「駐留米軍は事実上合憲」との判断を下したのだ。自己矛盾も甚だしい限りだ。 本書が読者にもたらすのは、驚愕と強い怒りである。伊達判決に、当時全国各地で起こっていた米軍基地反対闘争や、安保条約改定反対運動を勢いづかせるものとして強い危機感を抱いた男がいた。マッカーサー駐日大使である。ただちにダレス国務長官に「部外秘」公電を打ち、対策を練るのだった。同大使は藤山愛一郎外相と秘密会談を行ない、この判決は安保条約の改定だけでなく、すぐ後にひかえる地方選挙にも悪影響を与える可能性があるので、高裁を飛び越えて、最高裁に直接上告するよう進言する。この露骨な内政干渉に対し、藤山外務大臣は、すぐに閣議でそのように決めたいと答えた。時の総理大臣は岸信介、自民党幹事長は福田赳夫であった。こうして舞台は最高裁に移る。最高裁長官は田中耕太郎、田中長官はマッカーサー大使に、裁判の予定から、下される判決の内容までを、事前に全部洩らしていた。 本書に述べられたこれらの経緯は、３０年経ってアメリカで公開された秘密文書を引用しているだけに信ぴょう性には高いものがある。重要なものは、なんとコピーがそのまま出ている。 本書を読んで一番印象に残るのは、憲法学者・長谷川正安の「ふたつの法体系論」である。１つは憲法・法律・命令と続く「憲法体系」であり、あとひとつは安保条約・地位協定・特別法と続く「安保法体系」である。現代日本にはこのふたつの法体系が併存することによって、日本における米軍の事実上の治外法権というべき特権が保障され、日本の国家主権がアメリカの軍事力によって直接重大な制限を受ける現実となって現れているのだ。 どうしてこんな変な現状を招いてしまったのか。その淵源を探れば、田中最高裁長官の砂川判決に行き着かざるを得ない。憲法の番人、その象徴ともいうべき長官が為したことは、法治国家を崩壊に至らせる行為であった。