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鬼の王権・聖徳太子の謎
いま明かされる「鬼」の系譜と聖者伝説の秘密
関裕二
1998年4月30日
日本文芸社
1,320円(税込)
人文・思想・社会
本書は、聖徳太子にまつわる千数百年にわたる不可解な謎を、たぶん学者はもうすでに気づいているであろう“太子鬼伝説”を暴露することで解き明かした。
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(無題)
聖徳太子と言えば一度に10人の訴えを聞いた聖者と言うことになっているが、それが鬼とは一体どう言うことなのであろうか。鬼婆、鬼嫁と鬼には悪のイメージがついてまわるからだ。まず、古代日本の宗教感覚を理解しなくては、聖徳太子鬼説を俄かには受け入れがたい。 西欧やアラブの一神教世界とは一線を画する我が国には、八百万の神々が居る。自然界のあらゆるものに、神性を見出すアニミズムである。一方、話は飛躍するが幕末に日本を訪れた西欧人が、日本人が子供を叱らない事を驚きを持って記録して居る。子供がイタズラなどをするのは、子供の中の悪魔の仕業と考えて躾けをする彼等に対して、日本人は「6歳までは神の内」と子供に神性を見出していたのだ。大人の常識外のの発想や行動をとる子供や、経験に裏打ちされた高齢者の智慧に、単なる畏敬の念以上の宗教的感情を持って接していたのだった。それをさらに敷衍するなら、図抜けた能力を持つ人物を神とも鬼とも崇敬するのが古代日本の人々の生活実感であったのだ。 前置きはこれ位にして、本書では聖徳太子が「鬼」であったことを『日本書紀』に基づいて明らかにしていく。仏教導入を巡る蘇我馬子と物部守屋の争いの場面で、馬子は多くの皇族、豪族を従えて守屋の邸宅を囲む。守屋は邸宅の周りに稲を重ねて(=稲城)、激しく抵抗する。そのため、馬子の軍は3度撤退する。戦況を見守っていた聖徳太子は、霊木(白賿木)を切って、四天王の像を彫り、髪をたくし上げ、「今もし我をして敵に勝たしめたまわば、必ず護世四王のために寺を興しましょう」と誓願すると守屋の軍勢は、おのずから崩れていった。 ここで注目すべきは、まず守屋が館の周りに稲を敷き詰めたという点。なかなか敗れなかったということは「呪術」が施されていたからにほかならない。この呪術に対抗するための、馬子の切り札が聖徳太子。『日本書紀』には、このときの太子の髪型が「束髪於額(ひさごばな)」であったとある。戦争とは関係ない髪形にわざわざ言及しているのは、この髪型が童子のシンボルであり、この戦争における聖徳太子の役割を物語っているからだ。一寸法師や桃太郎の昔話で童子が鬼を退治するのは、童子が鬼と同等の力を持った存在だからだ。 この後、まだまだ先が続くことになるが、先が長いので興味のある方は、ご自分で読んでいただくと良いでしょう。
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