仏果を得ず
三浦しをん
2007年11月30日
双葉社
1,650円(税込)
小説・エッセイ
“好き”が過ぎるとバカになる。でも、そんなバカならなってみたい。文楽に賭ける若手大夫の熱い青春。直木賞作家が愛をこめて語ります。
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(無題)
常日頃から文楽に親しむ。こんな人は、現代ではごく希であろう。だから、大部分の人は、たとえ文楽に一度も接することなく生涯を終えたとしても、なんの感慨も抱かないだろう。それだけ縁遠い文楽の世界を内側からみる機会なぞ、そうそうあるものではない。ところが小説というものは大したものだ。 作家が取材した結果を小説世界で再構築して、読者に身近に感じさせることができるのだから。これにはもちろんのこと、才能が伴わなければならないのではあるが。 札幌のやんちゃな高校生・健の修学旅行では、文楽の観劇が義務付けられていた。今時の高校生であれば、その時間を睡眠に当てるのは当然の帰結であろう。そのうたた寝を妨げたのが、後に師匠となる銀大夫の義太夫節であった。そしてこの一瞬が健の人生を変えたのだった。健太夫の誕生だった。養成所に入り、人形浄瑠璃の世界の一員となった健。 芸の道を極めるのには、技術だけでは足りない。語られる人間をどう捉えているか、は義太夫の出来不出来を左右する。世話物は当時の現代劇であるから、語りの中で人物がどれだか生き生きとしているが勝負を決するのだ。健がいつも悩むのは江戸の時代、商都・大阪に生きた町人の価値観や感受性を理解できないことである。それは行動や結果から推測するよりないのだが、なかなかにしっかりとは掴めないのである。それが腑に落ちる時が来た。ある女性に恋をしたからである。 所詮は支離滅裂で矛盾した存在が人間である。仏道修行で成仏を目指すなんて真っ平だ。文楽はそんな庶民の歴史観の上に咲いた花なのだから。だから「仏果を得ず」なのである。何しろ師匠の銀太夫は女好きでチャランポラン、それでいて人間国宝なのだから。
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