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悪党的思考
平凡社ライブラリー
中沢新一
1994年11月30日
平凡社
1,046円(税込)
小説・エッセイ / 人文・思想・社会
13-14世紀、日本の歴史はひとつの根本的切断を体験した。「日本的近世」なるものを準備したこの切断の意味を、自然=ピュシスの力と直接わたりあう「悪党」的人々を座標軸として解き明かす、歴史のボヘミアン理論。
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(無題)
中世から近世に移行する日本にあって、歴史書には書かれない大きな転換があった。これを明らかにするのが本書の主題である。その時主役を担ったのが悪党的人々であった。悪党は当時政権を握っていた関東武士にとって誠に厄介な存在であったが故に悪党と呼ばれたに過ぎない。法に反して悪行を働く人々のことでは無い。これらの人びとを著者は歴史のボヘミアンと呼ぶ。 古代王権から一気に近代的王権への組み換えを考えた後醍醐天皇は、ある一群の人々を集め、その人々のネットワーク化を企てるのだった。供御人、商人、禅律僧、密教僧、悪党的武士、山の民、川の民、海の民、職人たちである。この点を逆にみれば、これらの人々は後醍醐以前の社会では、統治の対象外であったことになり、大変に面白い知見である。 では、彼等の本質はどこにあったのか。それは彼等の「技芸」から見いだすことが出来る。鉱物や粘土からピュシスの本質を抽出して造形する技術者、人間の身体からピュシスの力をとり出して破壊してしまう殺人の技術に長けた悪党的武士、音楽や踊りなどの芸能や性愛の技術によって人間の身体に隠れている力を溢れ出させる遊興の人々である。 「なめらかな空間」からもたらされる海の幸、山の幸、それに若くて美しい娘たちは、古代より贄として天皇へと奉げられてきた。ところが後醍醐天皇は、貨幣を鋳造して富の発生する境界場の掌握を試みたのだった。後醍醐は古代からの「稲の王」としての天皇であるばかりでなく、悪党的な力を直接的に支配して鎌倉幕府を倒し、古代天皇制の復活をとなえようとした。これが建武の新政である。 一方、武士による王権は「仕切られた空間」を支配することで成り立つ。具体的には開拓された土地と稲作を結び付け、合理的に計量することで徴収する税額を算定するのだ。これに対して後醍醐が目論んだのは、悪党を商人にかえて「幸」を「商品」にかえることである。計量や契約など合理性をベースとする権力は、現代の世界の原形と言えよう。だから、その後の武士による統治の中で「なめらかな空間」は解体され、「仕切られた空間」が膨張し、社会の中にいきわたっていくのである。 この時期に突如歴史の表面に現れ、また消え去っていった悪党たちは、その後どうなったのであろうか。私たちは文化面、ファッションや芸能・芸術、そして遊郭における「粋」の世界の中にその痕跡を見いだすことが出来る。また、「仕切られた空間」に息苦しさを感じる現代の自由であろうとする人々は、悪党的思考に多くのヒントを見つけるに違いない。
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