
神社の起源と古代朝鮮
平凡社新書
岡谷公二
2013年11月19日
平凡社
880円(税込)
人文・思想・社会 / 新書
日本固有のものとされてきた神社信仰だが、その起源においては、新羅・伽耶を出自とする渡来人の痕跡が拭い難く刻まれている。好評の前著『原始の神社をもとめて』に続き、日本海沿岸から韓国の慶州へと至る旅路のなかで、原始神道における始まりの謎に迫る。日本と古代朝鮮をつなぐ信仰の知られざる系譜。
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(無題)
新羅崎神社、新羅善神堂、新羅神社、滋賀県や福井県などには今もこうした名称の神社が残っています。白木神社、白鬚神社など新羅を思わせる神社を含めると新羅系神社は相当数に上ります。著者はこれらを一つひとつ訪ね歩き、日本書紀や各地の風土記を読み解きながら、古代における新羅系渡来人の痕跡を浮かび上がらせます。また著者は、この地域に半島から人々が渡来した理由として、鉄の鉱脈の存在をあげています。古代の人々は、鉄鉱石を求めて、また鉄を作るための木材を求めて、朝鮮から渡来し、日本列島を移動し、その鉄から多くの道具や品物を作りました。 4・5世紀の渡来人で代表的な集団といえば秦氏と漢氏です。彼ら渡来人たちは優れた技術と能力を持ち,日本の国づくりを根底で支えたと言えます。しかしながら、敦賀・近江地域における朝鮮半島の影響が、これまであまり語られてこなかったのは何故か、との素朴な疑問が頭をよぎります。これに対して著者は、時代は下って白村江の戦いに敗れて、大挙渡来してきた百済の人々が編集に参画した日本書紀の記述では、百済との関係よりも古い歴史を持つ、新羅や伽耶との関係は意図的に消去され、反新羅に貫かれているからだといいます。そのことが、敦賀・近江の古代史における新羅系半島人の影響を見えにくくしている、というのです。 さて、神社信仰が日本固有の信仰ではなく、古代新羅の影響を色濃く受けたものである、との本書の壮大なる仮説について考えていきましょう。著者は、社殿を造るといった『人工的なさかしらさ』を嫌い、清らかな森で神を迎えたり、森そのものを神体としたりする信仰がすでに朝鮮半島に存在し、それが新羅系渡来人によって日本に広く伝えられた、と考えています。我が国では縄文文化では神像を作る信仰があったのに、後の神社信仰では神像が消えるという変化があったことも、信仰の渡来を思わせるというのです。 一方、森そのものを聖域とする信仰は、沖縄の「御嶽ウタキ」とも共通するし、その信仰が韓国・済州島に残る「堂タン」の信仰と極めてよく似ていることも現地を訪ねて確認しています。これらを総合すれば、朝鮮半島から本州の日本海側、畿内、九州、そして沖縄方面まで、古代には、ある共通した宗教性を持つ『同じ文化圏』が広がっていた可能性がある、と著者は見ています。
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