ピダハン
「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L.エヴェレット / 屋代通子
2012年3月31日
みすず書房
3,740円(税込)
人文・思想・社会
言語をつくるのはほんとうに本能か?数がない、「右と左」の概念も、色名もない、神もいないーあらゆる西欧的な普遍幻想を揺さぶる、ピダハンの認知世界。
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きっともう一度ピダハンに会いたくなる。
面白い!大きく2つの点が面白い。 一つは、アマゾン奥地に住むピダハン族の生き方、精神性を具体的に触れことができる。つまり文化。イメージどおりの未開地ながら、過去も未来も神も必要とせず、幸福に至る文化である。 もう一つが、学問的な視点。素人なのでなるほどと思うところが多い。言葉と文化は不可分であることが実感できる。外部環境がその社会の考え方を作り、言葉(文法を含め)を作る。言葉はその社会をより強く形作る。 世界から日本語が失われることを想像すると、よりイメージしやすい。 多分今後も何度も思い出す本だ。きっともう一度ピダハンに会いたくなる。 本文メモ ・人生は素晴らしい。一人一人が自分で自分の始末をつけられるように育てられ、それによって、人生に満足している人たちの社会が出来上がっている。この考え方に意を唱えるのは容易ではない。 ・ピダハンは断固として有用な実用性に踏みとどまる人々だ。天の上のほうに天国があることを信じないし、地の底地獄があることも信じない。あるいは、命をかける価値のある大義なども認めない。-絶対的なるもののない人生、正義も神聖も罪もない世界がどんなところであろうかと。そこに見えてくる光景は魅力的だ。 ・西洋人である我々が抱えているような様々な不安こそ、実は文化を原始的にしているとは言えないだろうか。そういう不安のない文化こそ、洗練の極みにあるとは言えないだろうか。こちらの見方が正しいとすれば、ピダハンこそ洗練された人々だ。畏れ、気を揉みながら宇宙を見上げ、自分たちは宇宙の全てを理解できると信じることと、人生をあるがままに楽しみ、神や真実を探求する虚しさを理解していることと、どちらが理知を極めているかを。 ・言語は、その言語を使用する共同体特有の知識や歴史、世界観を表現するものだからです。また個々の言語は人間のコミニケーション能力が独自に進化を遂げた形を表すものでもあるのです。
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toruo
(無題)
アマゾン流域に住む少数民族ピダハンについてその特異な言語を中心に述べたもの、ということで興味を持った。作者は伝道師兼言語学者で未開の地に行ってその土地の言葉を研究し、聖書をその言葉に訳して広めるという役割を持っている。そしてこの400人くらいしか残っていない少数民族に極めて特殊な例を発見してしまう。つまり彼らの言葉には左右や数、色彩や時制など世界中の主な言語が持つ特長が何もないことを知ってしまう。従来の言語学からかくも逸脱したのは何故かを追求するうちにこの民族の文化を学び、結果として伝道師たる作者自身が無神論者になってしまう、という結論に至る。作者の辿る言語認識の道程とこの特殊な少数民族の生きざまが興味深かった。これはかなり面白い作品だった。
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