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日本葬制史
勝田至
2012年5月31日
吉川弘文館
3,850円(税込)
人文・思想・社会 / 美容・暮らし・健康・料理
古来、人々は死者をどのように弔ってきたのか。死体が放置された平安京、棺桶が山積みされた江戸の寺院墓地など、各時代の様相は現代の常識と異なっていた。日本人の他界観と、「死」と向き合ってきた葬制の歴史を探る。
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(無題)
日本には葬儀史を扱った本が大変に少ない。その理由は、それを書くための知識として仏教、儒教、神道の葬儀を知り、次に貧富や階級の違いよる葬儀の仕方を調べる必要があるからである。また同じ宗派、階級でも時代や地域によっても異なってくる。こうしたさまざまな違いが原因して、これまで葬儀史を作ることを困難にしてきた。しかし葬儀を知ることによって、日本人の生死観や精神性を知ることもできる。 私は現代日本人の生死観の源淵を探って見たかったし、時代精神が形成される上で宗教の果たした役割りも考えて見たかった。それだけに本書には、期待したが残念ながらその期待は裏切られたといわざるを得ない。以下に本書の内容について、論評を加える。 奈良時代以前の日本においては、人が亡くなってからしばらくはその遺体を仮の建物の中に安置し、本葬までの間にさまざまな儀礼をおこなうという慣例が存在した。 こうした風習を殯と呼び、殯に使われた仮の建物を殯屋または喪屋と名付けている。これは、死穢との関係で考え出された風習であろう。 しかし、大化薄葬令では殯が禁止されたし、天皇の場合にも文武天皇陵を最後にして古墳の築造は終末を迎えた。 さらに、平城京を作り出した元明天皇は崩御にあたって薄葬を遺詔しており、同天皇は崩後わずか6日目に埋葬され、ここにおいて、殯の風は後を絶つことになった。この辺の人の心の変化はなぜ、どのようなものだったのか、そこまで言及されていれば、と思ったものである。 平安時代初期の陵墓で注目されるのは、陵墓のそばに被葬者の菩提を弔うための寺院が建立されたことで、嘉祥3年(850)に崩じた仁明天皇の深草山陵の側には平安宮内裏清涼殿の建物が移築され、これが陵寺としての嘉禅寺とされた。 さらに、醍醐天皇陵の祭祀を陵の近辺にある醍醐寺が担当したように、特定の寺院が山陵と密接な関係を取り結んでその護持と祭祀にあたることも目立つようになっていく。 四十九日後について展生すると説く仏教は、教説と矛盾する事態をなぜ受け入れたのか、そのことによる仏教自体の変質は? 古代以来、一般民衆は風葬、すなわち地上に死者を置いてそのまま帰るのが普通だったと思われるが、平安末期には風葬は貧しい階層の葬法とされていた。 一般民衆が風葬され、一部は屋敷墓に葬られた平安時代でも、天皇や貴族、高位の僧侶は火葬されることが多く、火葬は仏教が伝えた葬法だから、当初火葬を行ったのは僧侶であった可能性が高い。 平安時代中期までは、仏教的な墓上施設として木製の卒塔婆を立てることはあったが、墓に石塔を建てた初見は、延暦寺座主、元三大師良源が天禄3年(972)に認めた遺告で、骨を埋めた上に49日までに石卒塔婆を建てるよう指示した。 しかし中世になると、13世紀後半から石塔に死者の戒名や没年月日を刻むものが増加し、この段階で石塔は墓塔になるという。 墓についても、墓に霊魂が宿るわけではないのに、やはり仏教側からの積極的な働きかけが見られる。寺院敷地内に結界を設けて、墓地としているのである。ここらについても、何がそうさせたのか、興味深いところだ。 また、歴史的に高野聖などの仕度僧の果たした役割が大きいのであるが、その点へのスポットが当てられていない。さらには、鎌倉新仏教、親鸞・日蓮は仏教の庶民化を教義ばかりでなく、葬送の面でも積極的におこなっているはずた。この点について全く言及がない、というのは、片手落ちだ。この他、近世・現代の葬送についての記述があるが、煩雑になるので、省く。
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