街場の読書論

内田樹

2012年4月30日

太田出版

1,760円(税込)

人文・思想・社会

本はなぜ必要か。強靱でしなやかな知性は、どのような読書から生まれるのか。21世紀とその先を生き抜くための、滋味たっぷり、笑って学べる最強読書エッセイ。

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3.8 2018年01月29日

内田樹の「街場」シリーズに読書論が登場した。ブログ「内田樹の研究室」と、各媒体への寄稿記事から「読書」と「表現」に関するものを厳選し、大幅に加筆・改訂したものである。編集者コメントの「著者史上最大のボリュームでお届けする、熱くて厚い、最強・ウチダ的読書エッセイ!」という言葉に、うんうんとうなづいてしまう一冊。 私が十代の後半、サリンジャーの「らい麦畑でつかまえて」を持って歩くのがファッションだった。この本は、そんなに厚くないし、難解でもないので、読んだと思うのだがその内容を全く覚えていない。いや、覚えてないと言うよりこの本の文学的衝撃をわたしは全く共有できなかったと言う方が正しいだろう。 昔はそんなことがたくさんあった。例えば、私の父は読書の習慣ということを全く持たない人であった。しかし、家には日本文学全集数十巻が揃っていた。その中の何冊かを抜き出して読み始めたのが、私の読書歴の始まりである。読書の楽しさを覚えてから、まったくの乱読ではあるが、とにかく読みあさった。そして退職してからというものは、今では一日一冊の読書を日課としている。 私がここで言いたかったのは、書籍が知的見栄の格好の素材であったということである。現在ではそんな見栄は捨て去られ、本音だけが先走っている。だから難解な本は売れないし、とにかく面白くないと売れない、その結果ライトノベル全盛ということになる。 私の読書スタイルは、相変わらずジャンルにこだわらない乱読であるが、いわゆるライトノベルと漫画は、楽しいと感じないので、遠慮している。 気楽に楽しめるのは、佐伯泰英の時代小説だ。月一冊のペースで文庫本を書き下ろしているのだから、驚異的だ。 最近文学が読まれない、といわれて久しい。そんななかで例外的に売れているのが時代小説だそうである。私も知らないうちに時代小説の引力に惹き付けられつつある。過去の時代という社会背景のもとでしか、架空の話は現実味を帯びない。全くの新しい世界をゼロから構築するというSF的な世界は、架空の世界の構築を語るだけで精力の大半が消耗してしまっているように見える。この点、例えば「江戸時代元禄3年の深川では」と書くだけで、筆者は何も言っていないのに別の本で読んだ知識が読者の頭の中に浮かんでくるという利点がある。筆者はストーリーの展開のほうに意識を集中できる。そういったことが理由の一つにあるのではないか。 さて、本書の内容であるが、文芸書あり、専門書あり、はたまた教育論ありで、そのジャンルの広さは圧巻である。内田の文章に時として知的でありながらも一種の軽薄な言い回しが見受けられるが、これにはいささかもわざとらしさやぎこちなさを感じさせない。むしろ、おしゃれで遊び心十分である。 文芸書がなぜ売れないのか。内田は、編集者や出版社が文芸書を商品と勘違いしてるからだと喝破する。商品は、マーケットニーズに応じて生産され、消費者に提供される。優れた文芸書の書き手は、マーケットニーズなど微塵も意識しない。優れた文芸書は、出版され読者が手に取って読んだ後、初めて「あぁそうだったのか」と時代や社会意識の変化に気づかせるのである。 なお、本書が面白くなるのは、第五章著作権以降であるので、それまでは我慢して読んでね。

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