〔電子〕青経巻 「南無妙法蓮華経 朝夕のおつとめ」

法華経

久保角太郎 / 伏見友貴

2015年5月6日

久保角太郎

0円(税込)

人文・思想・社会

久保角太郎と法華経の菩薩行 角太郎の考えた菩薩行とは、人間一人一人が一切衆生の個々の思い、個々の苦悩や喜び一つ一つに耳を傾け、それに共感し、そこからその思いを仏法によって昇華させ、一人一人が菩薩としての道を歩めるようにしようというものであった。 その道は生者のみならず、死者にも開かれたものであるべきだとされた。そして、個々の死者とのコミュニケーションの手段として、シャーマニズム的な手法を取り入れようとした。つまり、個々の死者の思いや苦悩をシャーマンを通じて聞き出し、対話を通じて仏法によって説得・教化し、その後の法華経による供養により、苦しみから解放し仏道に目覚めてもらおうという趣旨であった。 角太郎は実兄の小谷安吉とその妻であった小谷喜美らを新たな同志として、昭和2年より赤坂に拠点を置いて(通称:赤坂霊友会)激しい修行に打ち込み、西田無学が創案した、無量義経と仏説観普賢菩薩行法経からの抜粋が中心であった経巻に、新たに「法華経」本経からの抜粋も加えて「青経巻」と呼ばれる独自の経典を1928年に編纂・発行した。 また、西田無学は個々の死者に法名を送る方法論を確立していたが、角太郎達はそれに加えて、父系・母系に繋がる全ての先祖を対象とした「総戒名」と呼ばれるいわば象徴的かつ集合的法名を創案した。また、人間だけでなく、個々の動物・植物に至るまでのまさに一切衆生の成仏を願った法名も創案した。 そして、特定のシャーマンに依存するのではなく、充分な精神的鍛錬と慈悲を育む修行を経たものなら誰でもシャーマン的手法が使えるような独自の方法論を確立するに至る。つまり、一切衆生の苦しみを理解し、その苦しみを和らげて、仏の道へと導く為の手段として、シャーマニズム的手法を取り入れた訳だが、角太郎にとっては、全ては菩薩行の一環として捕らえられていたのである。 また、先祖にしろ、日常触れ合う人々にしろ、動物にしろ、植物にしろ、自分に縁のある全ての存在は、過去からの繋がりによって縁がつながっているわけであり、その意味では自分と無関係のものは一切無い。むしろ自分という存在自体が、それら時間的・空間的な無限の繋がりの結節点として、捉えられるべきであり、その自覚においてはもはや自己と他者の切れ目は消失する。そして、そのような自分に繋がる時間的・空間的な関係性を理解する事が、自己のあり方の理解に繋がるとされた。 つまり、角太郎の考えた菩薩行とは、先祖の供養ひとつをとっても、それは自分自身に繋がる因と縁を悟る修行であり、日常生活における他者との触れ合いも、自分自身の因縁を悟る修行になるのである。つまり、先祖や他者に思いを馳せる事は、自分自身のあり方を理解する事につながり、彼らを仏道へと誘う事は、自分自身が仏道へと誘われることに繋がるわけである。 南無東方善徳佛。 三世の諸佛の守護したもう所なり。衆魔群道得入すること有ることなし。一切の邪見生死に壊敗せられず。 南無妙法蓮華經

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