〔電子〕イギリスの古いもの

英吉利物屋(いぎりすもんや)

2019年7月24日

英吉利物屋出版

0円(税込)

人文・思想・社会 / 美容・暮らし・健康・料理 / ホビー・スポーツ・美術

アンデルセン童話『シリング銀貨』から読み解く、ヴィクトリアン アンティーク スタンホープ:ヴィクトリア時代の発明品、夏目漱石も『猫』で使う ジャポニスム:オールコック初代駐日公使は、日本のよさを海外に紹介 太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった四杯(四艘)で夜も眠れず 一、アンデルセン童話『シリング銀貨』から読み解く、ヴィクトリアン アンティーク 二、ヴィクトリアン バターナイフは黒船来航の頃の作 『太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった四杯(四艘)で夜も眠れず』 三、英国のユーモアを集約していると言われる『パンチ』 四、ユンハンス 木製ケース 置時計 1890年から1899年までの十年間の作と絞り込めるのは、イギリス人好み。 五、ヴィクトリアン ロケットのジャポニスム オールコック初代駐日公使は、日本のよさを広く海外に紹介してくれた Art and Art Industries of Japan(1878年、Sir Rutherford Alcock) 六、スタンホープ:ヴィクトリア時代の発明品、夏目漱石も『猫』で使う 七、ぎゅっとした銀塊の風情を醸した工芸品 ヴィクトリアンのマッチケース 八、ガリレオが木星の四つの衛星を発見したことで有名なガリレオ式望遠鏡と呼ばれるもの 以下は各章ところどころの抜粋です。 一、アンデルセン童話『シリング銀貨』から読み解く、ヴィクトリアン アンティークの背景 アンデルセン童話の『シリング銀貨』で lucky shillingにまつわる台詞。 'Very likely thou art a lucky shilling. A thought has just struck me that it is so, and I believe it. Yes, I will make a hole in the shilling,' said she, 'and run a string through it, and then give it to my neighbor's little one to hang round her neck, as a lucky shilling.' 「この銀貨、ラッキーシリングに違いないわ。ふと思い浮かんだの、そう思うわ。そうだ、シリングに穴をあけて、紐を通して、お隣のお子さんの首飾りにしてあげましょう。ラッキーシリングとしてね。」 『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』などで有名なアンデルセンの作品の中に、19世紀半ばに書かれた『シリング銀貨』というおとぎ話があります。外国旅行に出かけた英国紳士の財布にあった一枚のシリング銀貨が、異国の地で財布からこぼれてしまい、いろいろな人たちを巡りめぐって、最後には元々の持ち主であった英国紳士のもとに戻ってくるというストーリーです。 イギリスではシリング銀貨のシンプルなペンダントヘッドを時に見かけます。アクセサリーにしては、あまりに作りが簡単なので、どうしてだろうかと不思議に思っていたのですが、この品の背景の一つに、アンデルセンの『シリング銀貨』の物語がありました。 もう一つ、シリング銀貨アンティークの背景を。 トーマス・ケイズという人の研究によると、船舶や鉄道の発達によって国外への旅が増えた19世紀には、銀貨に穴をあけて、ジャケットの裏に縫い付けておくなどして、旅先での非常用通貨にするということが行われていたそうです。当時は多くの国で金銀を本位通貨とする貨幣制度が採用されていたので、世界の大国であったイギリスの銀貨は、いわばトラベラーズチェックのように、英国外でもかなり通用したというわけなのです。 わざわざアクセサリーにするには作りが簡単過ぎますが、さりとて銀貨に穴をあける仕事は誰もが出来るほど容易くはありません。初めはトラベラーズチェックとして使われ、後にはラッキー シリングとして大切にされてきたと考えれば、今日こうした品を見かける頻度が比較的多いことに納得がいくのです。 三、Mr. Punch's Cavalcade、A Revue of Thirty Years 1904年の秋からロシアのバルチック艦隊は日本へ向けて航行中でした。 世界史のビックイベントとして、バルト海、北海、大西洋、喜望峰を経て日本へ向かうロシアのバルチック艦隊の動きが注視され、当時のイギリスでは日本海海戦の行方が大変な興味を持って見守られていたとの記録が残っております。 そして1904年10月にはイギリス沖合いの漁場ドッガーバンクで、漁船を日本の水雷艇と誤認したバルチック艦隊が、英国漁船砲撃事件を引き起こして、英国世論が激高する事態となっています。 日本に向かって戦争に行くロシア艦隊が、途中で英国漁船を何百発もの砲弾で打ち払って、間違いと分かった後には救助もせずに通り過ぎてしまったのですから、誰だって怒るだろうと思います。 当時の日本とイギリスは日英同盟を結んでおりましたが、ドッガーバンク事件を契機にイギリス世論もおおいに日本に味方しました。 そしてイギリス政府によるバルチック艦隊の航海妨害などナイスアシストもあって、日本海海戦に向けて有利な展開となったのは幸いでした。 四、ユンハンス 木製ケース 置時計 イギリスで暮らしていると、有名な国会議事堂のビッグベンをはじめとして、昔からの時計が日常の暮らしに溶け込んでいるのを感じます。 教会や町の中心には時計台があり、時を告げる鐘の音を耳にします。 田舎のカントリーハウスに泊まると、ウォールクロックのストライクが夜中に響くのをべッドの中で、うとうとと聞くとはなしに耳にすることもあります。 また郊外のマナーハウスでアフタヌーンティーをしていると、グランドファーザーズクロックの音が響き、ノスタルジックな気分になります。 五、三色ゴールド装飾 ヴィクトリアン フロント&バック 9カラット ゴールド ロケット どうして、こういった和風モチーフのゴールドジュエリーがヴィクトリア時代のイギリスで見られるかというと、それは百五十年以上にわたる日本美術研究の蓄積がイギリスにあるからです。 1853年のペリー来航以来、日本の工芸が広く西欧に紹介され、英国シルバーの世界にも日本の伝統的なモチーフとして蝶などの虫、飛翔する鳥、扇、竹、さくら等のデザインが取り入れられていきました。1870年代、80年代のこうした潮流はオーセンティック ムーブメントとして知られています。 オールコックと言えば、幕末期のイギリス外交官としての仕事に注意が向きがちですが、一方では日本美術に傾倒し、「Art and Art Industries of Japan(1878年、 Sir Rutherford Alcock)」という著作も残しているわけで、日本のよさを広く海外に紹介してくれた、よき広報官という側面もあったのでした。 六、ロザリオ クロス with スタンホープ この仕掛けはスタンホープと呼ばれます。ヴィクトリア中期にクリスタル素材のスタンホープレンズとマイクロフォト技術が開発されたことによって、ピンの頭ほどのマイクロフォト写真に、お祈りの図などを撮って、それを拡大して見せる仕掛けが可能になったものです。スタンホープは1870年頃から1920年頃まで主に作られていました。 その後はスタンホープレンズを作るメーカーがなくなってしまい、この技術も絶えました。今日では技術を復活させてスタンホープを作っている愛好家のメーカーがアメリカに一社だけあるそうです。 夏目漱石 『吾輩は猫である』 六、迷亭君と細君の会話 迷亭君は今度は右の袂の中から赤いケース入りの鋏(はさみ)を取り出して細君に見せる。「奥さん… この鋏を御覧なさい… ここに蠅の眼玉くらいな大きさの球がありましょう、ちょっと、覗いて御覧なさい」 「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう。」 私が思いますには、スタンホープが英国で流行っていた頃に、漱石はロンドン留学しておりますので、漱石はイギリスでスタンホープを見知る機会があって、そんな経験が『猫』にもあらわれているのだろうと考えます。 七、ヴィクトリアン スターリングシルバー ヴェスタ スワンマッチはマッチ箱で擦るのではなく、映画などで見たことがあると思いますが、靴の裏などザラザラしたところに擦りつけて発火させるマッチで、日本ではロウマッチとも呼ばれます。ヴェスタの底はギザギザになっているので、スワンマッチならこのギザギザ底での摩擦で火がつくのです。 八、木製鏡筒ボディー&ブラス製 単眼鏡 ボディーの部分は木製で、伸縮部や対物&接眼レンズのフレーム部分はブラス製です。 かなり渋い味わいの伸縮式単眼鏡と思います。正確に言えば、昔、ガリレオが木星の四つの衛星を発見したことで有名なガリレオ式望遠鏡と呼ばれるものです。 古いもの好きに言わせれば、視野の周辺が暗くなるガリレオ式の見え方にはなんともアンティークな風情を感じます。 視野が狭いといわれるガリレオ式で、いったいどの程度なのか、実験してみました。

本棚に登録&レビュー

みんなの評価(0

--

読みたい

0

未読

0

読書中

0

既読

0

未指定

5

書店員レビュー(0)
書店員レビュー一覧

みんなのレビュー

レビューはありません

Google Play で手に入れよう
Google Play で手に入れよう
キーワードは1文字以上で検索してください