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量子の新時代

尾関章+井上信之+佐藤文隆「量子の新時代」

--2019年12月14日

長江貴士

書店員

量子の新時代

佐藤文隆/井元信之

2009年07月31日

朝日新聞出版 858円(税込)2009年07月31日

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本書は朝日新聞の科学記者である尾関章が、物理の研究者二人と共著で、量子論について書いた本です。本書は、著者三人で行ったとある講演を下敷きにして書き下ろされた作品のようです。 本書は三人の著者がそれぞれ文章を書くという構成になっていて、三つのパートに分かれています。 第一章は尾関章。学生時代量子論を学んだもののの、数式を操ることに長けていたものの、数式の意味については納得出来なかった著者は、科学記者としていろいろ取材をして行く中で、苦手意識のあった量子論を少しずつ理解出来たという個人的な経験を絡めつつ、厳密さよりもイメージを優先して、量子論というのはなんとなくこんな感じなのだという、量子論をまったく知らない人でも入り込めるような導入部になっています。 第一章では主に、「とびとび」と「重なり」について大雑把な話がなされます。この二つの特徴は、量子論を決定的に特徴付け、かつ量子論の奇妙さを浮き彫りにするものでもあります。 量子論というのは本当に僕らの常識から相当かけ離れている理論なので、僕がここでざっとどんな感じなのかという説明を書くのは難しいんだけど、「とびとび」と「重なり」についてざっと書いてみます。 まず「とびとび」について。僕らは普段、あらゆる出来事は連続して起こっていると感じていると思います。たとえばボールを投げた時、放物線の軌道を取りますけど、それは滑らかに繋がっていてどこかで不自然に途切れたりしているわけではありません。僕らの普段みているマクロな世界では、世界は連続しているように見えます。 でも、量子の世界であるミクロな世界では違います。例えば原子の周りを回る電子の状態は不連続(物理の言葉では離散的といいます)です。原子の周りを回る電子のエネルギーは、例えば「1から10までの間のすべての実数(少数も入る)を取る」というのではなくて、例えば「1、4、7、9のどれかの値しか取らない」というように不連続な感じになっています。これをさっきのボールの軌道の話で書けば、「ボールは放物線軌道のすべての点を連続して通る」ではなくて、「ボールはA点、B点、C点、D点のみを通る」というようなものです。これがまず量子論の奇妙さの一つ。 そしてもう一つが「重なり」です。量子は、いくつかの状態が重なった状態だとされています。例えば、第二章で書かれている話ですけど、「世界で最も美しい実験」の一つに選ばれている、日立製作所のフェローである外村彰さんが行った二重スリット実験があります。実験の詳しい説明は省きますが、要するにこの実験によって、『一つの電子は、二つのスリットを同時に通っている』ということが実験で確認されたわけです。これをマクロの世界の例で書けば、『ある部屋にドアが二つあって、X君はその部屋に入る時にその二つのドアを同時に通った』と言っているようなものです。 この実験結果から、電子は『Aというスリットを通った状態』と『Bというスリットを通った状態』が重ね合わさっているという認識がされています。僕らの常識からすれば考えられない世界ですが、量子の世界ではこれが実験結果として出ているわけです。 またこの「重なり」の話から、多世界解釈というとんでもない話も出ています。量子論というのは実に厄介な理論で、数式で計算する分にはこれほど世界をうまく記述する理論はこれまでになかったと言っていいほどの理論なんだけど、でもその数式をどう解釈するのかという点では物理学者の間でも意見が分かれている。その解釈の一つが多世界解釈です。 先程、量子はいくつかの状態が重なった状態にある、と書きました。多世界解釈では素直にそれを、別々のパラレルワールドに存在する状態が重なっているのだ、と解釈します。例えば面接を受けた会社からメールが送られたとしましょう。そのメールの中身を読むまでは、採用されている状態と採用されない状態の二つの状態が存在している。僕がそのメールの中身を開いた瞬間に、僕らはどちらか一方のパラレルワールドに振り分けられることになる。例えば僕が採用された世界に振り分けられたとして、しかし一方で僕が採用されなかったパラレルワールドもどこかには存在している、という考え方です。そうやって世界は無限に分岐を繰り返して行く、というのがこの多世界解釈です。 SFじみた話で荒唐無稽に思われるかもしれませんが、しかしこの多世界解釈の考え方は、その考え方が正しいかどうかは別として、新たなムーブメントを生むことになりました。それが、第二章でも扱われる量子コンピュータなどの量子情報科学と呼ばれる分野です。 第二章は、尾関章が井上信之にインタビューをするという形式で進んでいきます。井上は元々電電公社(現NTT)で光ファイバー通信の研究をしていました。光ファイバーの研究で障害となったのが、量子雑音と呼ばれる量子論特有のものでした。そこから井上は量子雑音をいかに消すかという研究に入るわけですが、ある時渡英した際に、後に量子暗号の立役者の一人であるエカートという人物と出会います。量子暗号というのはまた後で書きますけど、井上はそれまで量子雑音という邪魔者を消すという研究をしていたわけですけど、量子暗号では量子特有の奇妙な性質を逆に利用してやろうという発想があって、それに感動した井上は、それから量子情報科学の分野を研究することになったようです。 第二章では、井上がいかに量子論と関わってきたのか、現在の量子論をどう感じているのかという話もありますが、やはりメインになっていくのは井上の研究分野でもある量子情報科学の話です。 量子情報科学の分野で有名なのは、量子コンピュータ、量子暗号、量子テレポーテーションの三つです。 先に、さっき書いた多世界解釈と関わりのある量子コンピュータについて書きましょう。これは実用化にはまだ程遠いものみたいですけど、さかんに研究がなされています。 普通のコンピュータは0か1のどちらかの状態を取った形で情報を処理しますが、量子コンピュータでは0と1の重ね合わせの状態である量子ビットと呼ばれるものを使います。詳しいことは説明できないんで省きますが、量子コンピュータというのは要するに、計算を相当たくさんの並行世界(パラレルワールド)に分散させて計算をするから速い、という仕組みなんだそうです。 僕が本書を読んで初めて知ったのは、量子コンピュータというのは100%性格な答えを出すという性質のものではないということでした。というか、間違った答えもかなりの確率で出すみたいです。だから、検算の出来る計算をやらせるのに適しているみたいです。例えば因数分解があります。めちゃくちゃデカイ素数の因数分解は、普通のコンピュータでは宇宙が出来てから現在までぐらいの時間が掛かりますけど、量子コンピュータではすぐ出来る。でも答えが正確ではないかもしれない。でも、元の素数を量子コンピュータの計算で出てきた答えで割れば、正しいかどうかはすぐ分かる。量子コンピュータで何回か計算すればいずれは正しい答えが出てくるはずだから、因数分解なんかには適しているんだそうです。 量子コンピュータは現在どこまで進んでいるかというと、「15=3×5」という計算が出来たみたいです。実用化にはほど通そうですね。でも具体的にどんな風にやったのかというのをそのまま写すと、 『試験管の液体の中に、七つの原子からなる分子を10の18乗個入れて、原子核のスピンという性質を使って量子コンピュータに必要な重ね合わせ状態を作ったのです。これでショアのアルゴリズムを実行して「15=3×5」の素因数分解を解いてみせました』 となります。液体の中に七つの原子とかいう時点で、僕らが想像できるようなコンピュータではないな、ということが分かりますね。僕が生きてる間に実用化するかなぁ。 量子暗号については、サイモン・シンの「暗号解読」という本で読んだことがあります。「暗号解読」はメチャクチャ面白い本なんでオススメです。 量子暗号の肝は、量子の重ね合わせの状態を「盗聴」した時に、その痕跡が残ってしまうという点にあります。これは量子論特有の現象で、これをうまく使えば、相手に暗号の鍵を送る際、送られた側は「盗聴」されているか否かをチェック出来るので、「盗聴」されていうない鍵だけを使うことが出来るわけで、最強の暗号だと言われています。この量子暗号はもう理論的には実用化の域まで達していて、あとはインフラとコストの問題だけみたいです。現在のRSA暗号がなくなるのも時間の問題かもしれません。 量子テレポーテーションについては、原子レベルでの実験に成功したというニュースを昔みたことがあります。これは、うまく説明できないので省きますが、あのアインシュタインが量子論に疑義を呈した際に考え出した、『量子の絡み合い(エンタグルメント)』という考え方を利用しています。ただこれによって人間をテレポーテーションするのは難しいだろうし、そもそもテレポーテーションした後に何らかの古典的なやりとり(電話など)によってある情報を伝えなければテレポーテーションを完了できない(電話などによって伝えられる情報が来るまでは、テレポーテーションされた情報は別の形になっているようです。それを、電話などで伝えられる情報によって復元しなくてはいけない)ようなので、結局は光より早く移動するということはできないことになります。まあ第二章はそんな感じ。 第三章は、一般向けの物理の本なんかをよく書いている著者の章。ここでも量子論の不可思議な側面についていろいろ書いてはいるんですけど、正直第一章や第二章よりも書き方が難しい気がするんで、第三章の量子論に関する部分は飛ばしてもいいかもしれません。 僕が面白いなと思ったのは、アインシュタインについてです。アインシュタインと言えば、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉で、生涯に渡り量子論を否定し続けた人というイメージしかなかったのですけど、そもそも量子論の初期の段階で量子論の発展に貢献した立役者の一人だったというのは知りませんでした。また、アメリカに亡命した後同僚に言った言葉らしいですけど、「私は一般性相対論についてより100倍も量子論について考えた」と言ったようです。それだけ考えに考えて、でも量子論は間違っていると言い続けたアインシュタインは、結局間違っていたというイメージしか定着しなかったわけですけど、アインシュタインがいたからこそ量子論が進展したという部分もあるのだなと思うとまた新たな一面だなと思いました。またアインシュタインが量子論に疑義を呈したことで有名なEPR論文は、今量子情報科学の中でさかんに引用されているわけで、やっぱりアインシュタインは凄いのだなと思いました。 長々とあれこれ書きましたけど、量子論についてちょっと興味はあるけど難しそうという初心者の方に結構いいんじゃないかなと思いました。もちろん結構簡単に書かれているとは言え量子論そのものが難しい(というか常識破り)なので、量子論初心者の方にはなかなかハードルが高く見えるかもしれませんけど、でも本書を頑張って読んでみれば、他の量子論の本を読むベースにもなるんじゃないかなと思いました。理論だけではなくて、量子情報科学など最新の研究なんかについても触れられているので、浅いけどかなり広い範囲についての知識を得られる本だと思います。なかなか面白いと思うので読んでみてください。


長江貴士ながえ・たかし

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