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『クロック城』殺人事件

北山猛邦「『クロック城』殺人事件」

--2019年12月15日

長江貴士

書店員

『クロック城』殺人事件

北山 猛邦

2007年10月16日

講談社 858円(税込)2007年10月16日

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3.36
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どうせ終わるならさっさと終わってくれればいいのに、と思う。 世界の話である。 世界は、というか宇宙は、僕らが想像もつかないようなとんでもない昔に出来上がった。ただとんでもなく昔であっても、始まりはあったわけだ。始まりがあったということは、必ず終わりがあるということだ。宇宙は決して定常ではない。どんな形でかは知らないけど、いつか終わりを迎える。 僕らはそんな宇宙の中で、ほんのつかの間の生が与えられている。宇宙の歴史から比べればほんの一瞬、吹けば飛んでしまうような些細な時間を生きる時間として与えられる。 しかしだ、こんなことを言っても詮無いことは充分に理解しているのだが、僕はそんな時間を全然望まなかったのだ。僕が生まれる前にも、生まれた後も、そしてこれからも、僕は生きる時間を望まなかったし望まないだろう。僕からすればそれは、与えられたものではなく押し付けられたものでしかない。 だから、世界なんかさっさと終わってしまえばいいと思うのだ。 一時、世界は終末論的な話で盛り上がった。ノストラダムスとか言うアホなおっさんの予言を間に受けて、いろんな人間が世界が終わると言って大騒ぎしていた。当時のことを特別覚えているわけではないけど、テレビとかでも特番がよく組まれていたし、関連本も山ほど出たと思う。 正直言ってあの当時、本当に世界が終わると信じていた人はどれくらいいるのだろう。僕はもちろんまったく信じなかった。そもそも、世界と人間が同時に終わる、なんていうことはありえないのだ。まず人間が死に、その後で世界が終わる。この順番が変わることはありえないし、人間と世界が同時に終わることもありえない。よしんば、『人間が死ぬこと』が『世界が終わること』と同義であるとしても、そもそもそんなことが予測できるはずもないのだ。隕石が落ちてくるというのであればまだ知りようもあるが、しかしそれ以外のことはどうにもならない。いついつに世界が滅びます、なんていうのはだから嘘に決まっているのである。 だから僕はあの当時、世界が終わるなんてことは全然信じていなかったと断言できる。 でも同時に、世界なんかさっさと終わってくれたらいいのに、と思っていたことも確かである。 僕は思うのだ。ノストラダムスの予言があんなに騒がれたのは、実は僕のように思っている人間がそれなりにいたからではないか、と。 そもそも世界が滅びるという事象に対して心配したり不安を抱いたりすることに意味はないのだ。意味がなくても人間というのはそういう感情を抱いてしまうものだが、それにしたって世界が終わってしまうことへの不安だけであそこまで盛り上がったというのは僕の中ではどうもしっくりこないような気がする。 それよりは、より多くの人が、こんな世界なんて終わっちゃえばいいのに、と何らかの形で思っていたからこそ、あれだけの騒ぎになったのではないかな、と思えてくるのだ。これは逆説的な意見かもしれないし、少なくとも僕の希望でしかないのだけど、でももしそうだとしたら何となく僕は嬉しい。 僕らは、とりあえず生きてしまっているから生きている、という側面があると思う。つまり、死ぬような積極的な理由はないから生きている、という部分である。人によってはそれを否定するかもしれない。自分には生きていたい積極的な理由があるのだ、と。しかし多かれ少なかれ、そういう側面を否定することは出来ないのではないかと思う。 問題は、世界というものが存在し、それから人間に生が与えられるわけで、じゃあその大前提となる世界の存在そのものが揺らいだ時、果たして人間はそこまで必死に生きようとするだろうか、ということである。 例えば大地震なんかはこういう想定には当てはまらない。大地震というのは、どれだけ規模が大きくたって、世界全体から見れば局地的なものである。つまり、世界にはまだ人が生きていける環境があり、選択肢が多々残されているといえる。 しかし、例えば恐竜が絶滅した原因と言われるようなとんでもない隕石が地球に激突したとしよう。粉塵が地球表面を覆い日光を遮り、気温が低下し、植物が育たず、気候が大きく変動してしまった世の中を想定しよう。その世界の中で、隕石の直撃は免れ、幸いにもすぐには命を落とさなかった人達がいるとしよう。 さて、そんな状況の中で、人はどれだけ生きたいと願えるだろうか。地球がどれほど壊滅的な状況に置かれて、もう回復の見込みはまったくないという状況になっても、それでも最後の最後まで生き抜きたいと願う人はどれほどいるだろうか。 僕は少なくとも、さっさと死にたいと思う。僕の場合、本当に生への執着が薄いので、隕石じゃなくても、大地震のようなケースでも、さっさと死んでしまいたいと考えると思う。僕自身の世界というのは、強固な安定以外の状態をなかなか許さないので、その安定性が奪われるやすぐに揺らいでしまう。その揺らいだ状態の中で生きていくこと自体に関心が持てないので、僕はすぐに死を考える。まあ僕のこれまでの人生はその繰り返しだったと言っていい。 まあ僕の話はいいか。話を戻そう。 SFの世界では、地球にはもう住めないということが分かって、火星とかに移住するみたいな話が出てくる。これも世界の終わりに対抗しようという話に違いない。 しかし冷静に考えた時、どうだろう。地球にはもう住めないとなった時、少しでも可能性のある火星に移住するという選択肢を取るだろうか?やっぱり僕は取らないだろうと思うのだけど、普通の人の意見というのはどうなのだろう。 世界なんかさっさと終わってしまえばいい。叶わない願いだと知りながら、僕はそんなことを日々思ったりする。 そろそろ内容に入ろうと思います。 世界は終わりを迎えようとしていた。 時は1999年9月。予測では、あと一月もしない内に世界は滅びるだろう、と考えられている。既に電力の供給などは途切れがちで、街はどこもかしこも薄暗い。世界には、SEEMだの十一人委員会だのと言った大規模な組織が存在し、世界の破滅を食い止めようと日々活動を続けている。 そんな世界の中で、探偵が一人。 南深騎は探偵である。もともとは普通の探偵だったが、とあるきっかけで<ゲシュタルトの欠片>と呼ばれる幽霊のような存在を退治することが出来ることに気づき、最近の依頼はもっぱらそっちの方面のものばかりになっている。志乃美菜美という不可思議な少女が始終彼の傍にいる。 そんな二人の元を、黒鴣瑠華と名乗る美少女が訪ねてくる。何でも、<クロック城>という彼女が住んでいる屋敷に出るという<スキップマン>という幽霊を退治して欲しいのだ、という話だった。とりあえず話の要点はつかめないものの依頼を受けることにし、途中邪魔は入るものの、瑠華の案内で深騎と菜美は<クロック城>を訪れる。 それは、前面に飽きれるほどデカイ三つの時計がついた建物だった。しかもそれぞれの指す時刻は違う。真ん中の時計だけが正確で、左右の時計はそれぞれ10分ずつ進んだり遅れたりしているのである。 また屋敷に住まう者も変わっていた。研究一筋で愛想のない当主、愛想のない助手、占い師のような男、時計の読めない少年、礼儀正しくない執事、眠り続ける美少女…。 時計の鐘の音と共に、首を切り落とされた無残な死体が見つかって…。 というような話です。 さて、有栖川有栖が大絶賛している、新本格を担う新人のデビュー作です。 本作は、あの奇妙奇天烈な作品を次々と世に生み出したメフィスト賞受賞作であり、なるほどその中にあって埋もれずにいるなかなか個性的な作品だな、と思いました。 本作はバリバリの新本格系のミステリではあるんですけど、しかし作品を覆う雰囲気は普通のミステリとは違ってかなり幻想的です。普通の新本格系の作品とはかなり一線を画す舞台設定だなと思います。 解説で有栖川有栖も書いていますけど、山田雅也の「生ける屍の死」や西澤保彦の作品なんかに近いものがあります。しかしやはりそれらとも違いがあるように僕には感じられました。その違いはうまくは説明できないのだけど、山田雅也や西澤保彦の生み出す世界というのは、『あるトリックを成立させるのに必要不可欠な舞台』を生み出すために必要なわけですけど、本作は決してそうではありません。本作で用いられるあるトリックは、別にそういう特殊な条件を必要とするようなものではありません。それなのに、著者は敢えて作品全体を幻想的で虚無的な舞台へと乗せた。もちろんその舞台設定は全体的なストーリーと結びついていくわけだけど、そのトリックそのものとは結びつくわけではない、という点が違いとして指摘できるのかな、と思いました。 作品全体に拭っても拭いきれない程深く『死』の匂いがこびりついている作品で、その虚無的な雰囲気が僕は結構好きでした。登場人物の誰もが、そこまで生に執着しているわけでもなく、かと言って積極的に死を望んでいるでもなく、世界が破滅すると言われているけどそれすらも無関係という感じで時が進んでいきます。そのあっさりした感じがいいなと思いました。 また、ミステリとは思えないほど様々に奇妙な設定が出てきます。<ゲシュタルトの欠片>や、SEEDや十一人委員会だのと言った存在もそうだし、そもそもが志乃美菜美という存在が不可思議という有様。大筋のストーリーと直接的に結びつくわけではないそういう細かい設定もまた、それまでの新本格系ミステリとは一線を画していて面白いなと思いました。 また解決もなかなかのもので、もしあそこで終わっていたらちょっと残念な作品だったけど、その後も話が続いて、最後には結局あんな感じで終わったから満足、と読んでいる人からすれば意味不明でしょうが、そんな感じです。また個人的によくこんなことを考えたなと思ったのは、『なぜ首を切断したか』という理由です。リアリティはともかくとして、すごい発想です。この『なぜ首を切断したか』というのはミステリの中でもいろんな理由が提示されているわけですけど、僕が知っている中では他に、西尾維新の「クビキリサイクル」での理由がすごいと思いました。本作はそれ以来、久々にすごいなと思った『なぜ首を切断したか』の理由があります。 さて、最後に一つ。本作は著者が22歳の時に書いた作品です。これはすごいなと思いました。若い作家というのはこれまでもどんどん出てきていたわけですけど、でもやっぱりこの若さでこれだけのものを書けるというのはなかなかすごいなと思います。他にもこういう系のガチガチのミステリを書いているようなので、読んでみようと思います。 好き嫌いは分かれるような気がしますが、僕は結構いいなと思いました。作家の森美登美彦も読んだみたいですよ。ブログに書いてありました。評価はどうか知りませんけど。あぁそうそう、帯にも書いてありますけど、本屋とかでページをパラパラ捲ったりしてはダメですよ。それだけは注意してくださいね。


長江貴士ながえ・たかし

書店員

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