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安楽死を遂げた日本人

宮下洋一「安楽死を遂げた日本人」

--2020年01月08日

長江貴士

書店員

安楽死を遂げた日本人

宮下 洋一

2019年06月05日

小学館 1760円(税込)2019年06月05日

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4.21
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まずは、著者が本書を書いたきっかけから。 前著『安楽死を遂げるまで』について、著者は、西洋的な死生観と日本的な死生観を分けて捉えたという。それは、著者が長年、欧米諸国で生活を続けている、ということにも関係している。 しかし出版後、日本の現状を理解していない、というような意見が著者の耳に届いたという。そこで改めて、日本人と安楽死、というテーマで取材を続けることにしたのだ。 本書の中心になるのが、小島ミナという女性だ。多系統萎縮症という、治療法も無く、また、身体機能が徐々に衰えながら、生命機能は比較的長く維持される、という難病に罹ってしまった50代の女性だ。これは、映画にもなった『1リットルの涙』の主人公と同じ病気だそうだ。彼女は、『安楽死を遂げるまで』を読んで、著者に連絡をした。そこからすべては始まった。 小島は海外での安楽死を考えているようだったが、著者はそれを「難しいだろう」と考えていた。理由は、過去日本人が海外で安楽死した、というケースが存在しない、ということもあった。 国外からの安楽死希望者を受け入れる数少ない団体が、スイスにある「ライフサークル」と「ディグニタス」だ。「ディグニタス」の方が知名度が高く、統計資料で「過去に日本人が3人安楽死を遂げた」というデータがあるが、外部にほとんど情報を公開しないので判断が難しい。著者によると、「ディグニタス」の統計は居住国でカウントされるので、この3名は、日本在住の外国人だった可能性もあるという。一方の「ライフサークル」は、著者が前著で深く取材した先であり、代表のプライシックという女性医師とも親密だ。その「ライフサークル」では、日本人の安楽死はない。 日本人が外国で安楽死をする難しさは、「スイスまで渡航出来なければならない」が、同時に「耐え難い苦痛がある」「回復の見込みがない」などの条件をクリアしなければならない、という点にある。スイス国内であれば、車で移動可能なレベルであれば安楽死が可能だ。しかし日本からとなると、飛行機での渡航をクリアしなければならない。タイミングが早すぎても「耐え難い苦痛」や「回復の見込みがない」と判断されない可能性があるし、タイミングが遅いと渡航出来る状態ではなくなってしまう、という可能性がある。 そういうことを理解しつつ、あくまでも、安楽死を望む者がどうしてそう望むに至ってしまったのか、その経緯をしろうと、小島を取材対象とすることに決める。 そして結果的に、彼女は、タイトルの通り、「安楽死を遂げた日本人」になった。その過程を追っていく。 それと同時に、別の安楽死希望者も登場する。深く描かれるのが、吉田淳(仮名)と、幡野広志だ。吉田とはメールのやり取りから直接会って話す関係になり、幡野とは安楽死関連のイベントで会って話を聞くようになっていく。 また、安楽死に限らず、緩和ケアなどの終末期医療に携わる人と鼎談をしたり、死をどう迎えるかをデザインするアプリを作りたいという女性の話を聞くなど、「死に方」という括りで様々な人と会い、話を聞いていく。 著者自身は、冒頭でも色々書いたような理由で、安楽死に積極的に賛成ではない。むしろ反対の立場だ。特に、「他人に迷惑を掛けたくないから安楽死をしたい」という、他者目線で死の判断をしてしまう国民性のある日本人には、安楽死は向かないだろう、というのが、著者の基本的なスタンスだ。しかし、様々な関わりをする中で、著者の考えは揺らいでいく… というような話です。 個人的、ためになる本でした。確かに、面白いという部分もあるんだけど、正直に言えば、安楽死に関する著者の観点にあまり賛同できないので、そういう意味で「面白い!」と言いにくい部分もあるなぁ、というのが正直なところです。 「ためになる」というのは、知識的な部分と、考えたことのなかったことについて思考した、ということですが、まず前者から。 知識的に良かったのは、「痛みのない最期は安楽死だけではない」ということです。著者はこう書きます。 【緩和ケアによって肉体だけでなく、精神的な苦痛も取り除くことができることを、日本人は知らないと思う。もちろん、それは100%ではないだろうが、最期を穏やかに迎えるための手段として欧米では定着している。 安楽死を希望する日本人は、緩和ケアとは痛みをごまかしつつ病と闘うものというイメージを抱いているようだ。一方、彼らは安楽死について、安らかに眠れるものと認識している。そこに私は疑問を抱くが、ここでは触れない。ちなみに緩和ケアの技術が進むイギリスは、安楽死が法制化されている国々を緩和ケア後進国と見做している】 【緩和ケア医の仕事について、日本では国民の理解が得られていない、というのが私の印象だった。この思いは吉田淳との会話の中でいっそう強いものとなった。 日本人にとって緩和ケア病棟は、「死ぬ前に入るところ」、緩和ケアとは「治療を諦めること」と誤解されているように思えた】 【西(※本書に登場する緩和ケア医)からは以前、日本は緩和ケアへの理解がないと聞いていた。死を待つための場所であるとの誤った認識が広がっている。それはなぜだろう。 西は、「日本においては癌患者とエイズ患者だけが、保健上で緩和ケアの恩恵を受けられるから」と端的に答えた。 海外では、心不全や呼吸器疾患などにも緩和ケアのアプローチが必要とされるが、日本では死に直結する病でしか、緩和ケア病棟を活用できない】 最後の引用は、緩和ケアに関するマイナスな面も明らかにするものではあるが、こういう記述を読んで、この辺りの知識は今まで持っていなかったなぁ、と思った。僕も短絡的に、「最期は安楽死がいいなぁ」と思っていたが、本書を読めば分かるが、日本人が外国で安楽死するのは、非常にハードルが高い。なので、安楽死以外の現実的な選択肢がある、というのは、良い情報だと感じた。 また本書で描かれるあるシンポジウムの中で、「尊厳死と安楽死の違いが分かる人はいますか?」という問いが投げかけられる。これも、今まで僕はあまり考えたことのなかった問いだったので、なるほど知らなかったなぁ、と思った。 そして、そういう実感と共に改めて感じたことは、日本では「死」について語る場があんまりないなぁ、ということだ。これは著者も指摘している。「死は隠されるべきもの」という「タブー感」が色濃く残っているので、こういう基本的な情報についても、誰かから聞くことがない。そういう意味で、確かに日本というのは、安楽死を法制化させる上での土壌がまったく育っていないな、と感じる。基本的な情報も知らないまま、イメージだけで安楽死を良いものと捉えるのは確かに良くないな、と感じた。 まあとはいえ、僕自身は、安楽死出来たらいいなぁ、という考えを変えていないのだけど。 本書にこんな記述がある。吉田淳からのメールに書かれていた言葉に対する著者の反応だ。 【特筆すべきは、ディグニタスという安楽死団体から書類が届いただけで、死に一歩近づけたと喜び、「食欲や活力が湧いてきた」と付記していることだ。それを彼は、「不思議なもの」とも表現している。過去に取材で出会った患者からも、安楽死団体に登録することで、いつでも死ぬことができるという安心感を得たと聞いてきたから、その感覚は理解できた】 また、最終的にスイスで安楽死をした小島に対しても、こういう感想を抱いている。 【小島にとって最悪の事態は、早い段階で意思表示ができなくなり、スイスでの安楽死という選択肢が消えてしまうという恐怖だった。スイスに渡った今、その恐怖は消え、小島の表情からは安心のようなものが感じられるのだった】 僕は、「安楽死を制度化すること」の最大の効用が、この点にあると感じる。つまり、「いつでも死ぬことが出来る」という感覚が「安心」へと繋がり、それが「残り僅かな時間を有意義に過ごすこと」に繋がる、と思っているのだ。 もちろん、安楽死を制度化することに様々な問題や障壁があることは理解しているが、「安楽死」以外にこの安心感を与えられるものはない。緩和ケアは、あくまでも「死期が迫ってきた時に苦痛を感じずに逝けるようにする」ということで、死期を決められるわけではない。安楽死は、「自らの意思で死期をある程度コントロールできる(ある程度というのは、最終的に時期を決めるのは安楽死団体だ、という意味)」という点で、他のどの方法とも比較できない優位性を持っていると僕は感じてしまう。 とはいえ、ここから、二つ目のこれまで考えたことのなかったことを思考したという話に移るが、小島ミナという女性の生き様を通じて、現実的に死に直面した人間は、当然ではあるが、ここまで現実的に物事について考えるのだな、という感覚を強く抱いた。 本書には、小島が長いこと続けていたブログからの引用が多くある。底には、難病と診断されてからの彼女の思考が詰まっている。小島は、深い考えもなく安楽死という選択肢に行き着いたわけではない。様々なことを思考し、試し、訴え、記録する、という繰り返しの果てに、安楽死を決断した。 小島は、【末期癌だったら安楽死を選んでいないと思う】という発言をしたという。また自身の決断についてこうも語っている。 【お金がかかる、時間がかかり、そして自分の死期を早めている。悪い点だけです。でも、日本で安楽死を考える際の一つの懸案事項としてもらいたいから、私が今回、挑んでいるんです。スイスに行けば安楽死ができるから万歳と、そこまで単純ではないんです。どちらかというと、日本でできないからわざわざスイスまで来るという、一つの悪い例として分かってもらいたいんです】 こういう発言は、非常に理性的だし、小島という人物の深い思考力を感じさせる。著者自身も、小島のブログを読んで、 【彼女は生きることを諦めて安楽死を選んだのではない。様々な苦痛を抱えつつも生きることと向き合った上で、その意味を見いだせなかったと述べている。この二つには大きな違いがあるように思えた】 と書いている。 小島の思考と、それに呼応する著者の感覚は、「なるほど、そういうことについては考えたことがなかった」と感じさせるものが多く、そういう意味でも、本書はためになったと感じる。 「死」というのは、個人的なものでもあり、社会的なものでもあるから、非常に難しい。すべての「死」が個別的なものであり、その良し悪しを決めるということ自体がナンセンスだとも言える。そういう中で、社会的な合意を生み出さなければならないのだから、相当な困難を伴うと言っていい。しかし僕は、いずれ安楽死が、日本でも制度として認められることを願っている。


長江貴士ながえ・たかし

書店員

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